あのコロナの時に・・・
まずは、コロナウイルスで亡くなった方々に、本当にお悔やみ申し上げます。。。
前例をみないほどのコロナウイルスの脅威に、ほとんどの人が「まさかこんなことになるなんて...」との思いだと思う。
コロナウイルスの脅威は、『全世界』という広範囲でありすべての人間が関わってくるということ、更には一過性のものではなく収束するのに時間がかかり、いつ収束するのかも予測がたたないという二点。
この二点が、今まで僕が経験した世間を騒がすような事故や出来事と大きく違うのだ。
今までだって、「他人事」と割り切って考えていたつもりはないのだけれど、時間の経過とともに人間の記憶から薄れていくのは仕方のないことなのかもしれない。
例えば、東日本大震災。
福島第一原発の廃炉には50年とか下手したら100年とかいう、半世紀から一世紀に渡っての途方もない時間がかかると言われている。
溜まる一方の汚染水。。。
避難警戒区域もだいぶ狭まり、道路や鉄道も開通し建物も再建される一方で、放射能汚染の問題や放射能そのものの恐怖から完全に解放されたわけではないのだけれど、一昔前のようにニュースや特集で扱われることは格段に少ない。
人類は同じ過ちの繰り返し
なんてよく言われるけど、良くも悪くもこの "忘れっぽさ" というのが人間の特徴なのだ。。。
その点。
このコロナ騒動で、お亡くなりになってしまった方、有名人というのは逆に忘れ去られにくい存在かもしれない・・・
昔、脚本家や小説家で知られる向田邦子という人がいたのを御存じの方も多いと思う。
日航機墜落事故で亡くなった方だ。
御巣鷹山に旅客機が墜落した大変痛ましい事故で、僕が3歳の時だった。
その当時の記憶としては残っておらず、大きくなってから事故のことを知り、この事故を題材にしたテレビドラマを見たことがある程度。
向田邦子さんの生前は、僕が生まれる前にご活躍した脚本家のため、正直なところ作品には馴染みがない。それゆえ、失礼ながら僕の中では向田邦子といったら日航機墜落事故が思い浮かんでしまう。
そして。
日航機墜落事故といえば、俳優や歌手で活躍した坂本九さんを思い出す人も多いはずだ。
人は、いつかは亡くなる。
生まれてきたからには、いつかは死ななければならない。
死んでしまう原因など、挙げたらきりがない。
ある人物が死んだとき、まだ生きている・あとに残された者達にとってどういう印象としてその人物が残るのか。
率直な感想として。
もし、向田邦子さんや坂本九さんが、何かしらの病気を患って亡くなっていたのなら、後世の人たちの記憶にどれだけ残りどれだけの印象を与えたかは定かではない。
"あの日航機墜落事故の時に亡くなった" という悲惨さがあるからこそ、後世の人間の記憶に留まることとなったと、言葉で言ってしまうとなんだか残酷な響きに聞こえてしまうけど。
実際のところ、そういうようなものはあるんだと思う。
人に同情の気持ちを与えるような死は、きっと人々の心に残るものなのかなぁって思うのだ。
コロナですでに亡くなってしまった志村けんさんや岡江久美子さんも、きっとコロナ収束後もいつまでも忘れ去られない存在として、人々の記憶に残るんだと思う。
たくさんの人から愛され、お茶の間を賑やかにした志村けんさんと岡江久美子さんらしい死だったのかもしれないな、と僕は思う。
でも。。。
当然、自分がどんな死に方をするにせよ、死は死。
その死に良いも悪いもないのだ。
自分が生きている間、いかに楽しく充実した毎日を送れるか
それだけの話である。
銀河鉄道の夜のような昼下がり
僕は、子どもの頃、人懐っこい性格だった。
知らない大人に話しかけるのが好きだった。
大人になるにつれ、人と壁を作るようになり、、、
気付けば!「超」が付く人見知り人間になった。
ところが、ここ最近は、アラフォーで40歳近くになったからなのか...
思春期や青春期のような恥じらいが消えつつある!?(^-^;
またまた人懐っこい一面が顔を出し始めた??
今までブログで、僕がバスの運転手であることを話す機会がチラホラあった。
『企業送迎』というもの。
市街地にある停留所に一つ一つ停車していく路線バスと違い、ある企業さんと最寄り駅とを回送(急行)しながら走るのが企業送迎バス。
そのため、運賃を考える必要がなかったり、便ごとに事前にお客さんの人数が把握できたり。
ということは!何より、お客さんと "顔馴染みになる" ということになるのだぁ。
でも、普通、運転手さんに雑談交じりに話しかけてくるお客さんなんていない。
昔の日本のような『粋な計らい文化』は廃れ、現代なら「運転手に話しかけるなんて、どんだけ寂しい人間なんだ」とか思われやすい時代・風潮もあるからね。
もちろん、仕事中である運転手の方からお客さんの方に話しかけるのは良しとはされないため、こっちから話しかけることも控えている。
従って、顔馴染みになっても、顔馴染み以上の関係にはならない。
まぁ、当然と言えば当然なのだが(笑)
しかし、今日は例外だった。
我が社では、四月から本厚木駅便が無くなり、別の最寄り駅の便に変更になる。
そういう告知を受けたばかりだった。
今日、たまたま、その本厚木駅便を担当した。
いつも、その便には、たった一人のお客さんが乗車されることが多いのだ。
歳にして、僕より10は若いお姉さん。
いつも、「本厚木までお願いします☆」と元気よく挨拶してくれる。
「たった一人」「元気に挨拶」ということで、今の会社に入社してからすぐに印象に残るお客さんだった。
でも、雑談交じりに話しかけられることはもちろんないし、僕が話しかけることももちろんない。。。
「このお客さんとお会いするのは、もしかしたら最後になるかもしれないな。」
と頭をよぎった。
そこで、僕は、思い切って話しかけてみることにした。
「あのぉ~、すみません。突然話しかけてしまい、、、ビックリさせてしまいすみません。」
それをきっかけに、話が思わぬ方向へと弾むことになった。
お姉さん「海老名駅は大きいけど、本厚木駅に慣れ親しんだもので・・・古本屋とかよく行くんですけど、慣れた駅の方が本を探しやすいじゃないですかぁ~」
僕「本を読むのが好きなんですね!自分で文章は書かないの?例えば、SNSとかで、ブログとか・・・」
お姉さん「ブログみたいな日記形式のはやってないんです。ただ、むしろ、、、小説を書いてます。」
意外な答えが返ってきて、僕はしばし言葉を選んだ。
僕「小説だと、自分の体験を基にして小説を書くっていう人が多いと思うんだけど。よく、そういう話を耳にする。でも、お姉さんは若いし...人生経験という点で、小説にする題材を見つけるのが大変じゃないのかな??」
やや失礼になるかな?と思ったものの、率直な思いを伝えてみた。
すると、こちらの反応をすべてお見通しと言わんばかりに、丁寧かつ明確な説明をしてくれたのだった。
お姉さん「例えば、今の時期だったら、コロナウイルスとか桜っていうキーワードがすぐ思い付くと思うんです。そこから想像力で話を膨らませていけばいいんです。テーマは、恋愛とかミステリーとか...色々あるけど、コロナウイルスというキーワードから恋愛小説だって作れるし、桜というキーワードからミステリー小説だって作れるんですよ!」
企業から最寄り駅まで、わずか30分ほどの時間なのだが、「この女性は小説を書くために生まれてきたのかな?」と思わせるほどの説得力とエネルギーがあった。
いつも、元気よく挨拶してくれる理由が分かった気がした。
お姉さんを降車させ、回送中、ふと、ここ最近ずっと頭の中を駆け巡っていた "ある疑問" に対する答えが分かった気がした。
「宮沢賢治は、輪廻転生の想いを大切にしていたんだ!」
ジョバンニとカムパネルラの話。
皆さんは、読んだことがあるだろうか?
内容は割愛させてもらい、皆さん知っていることを前提で話を進めさせてもらう。
「人は、何かしらの目的を持って生まれてくるのかもしれない。」
みんなを幸せにするため・・・
より多くの、生きとし生けるものを幸せにするため、何かしらの使命を帯びて生まれてくる。
それが、小説家だったり、ミュージシャンだったり、アスリートだったり...
職業でなくても、、、
「まっ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみをてらす」
さそりのような生命だってあるのだろう。
あの『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニを迎えに来る機関車は、生まれ変わって輪廻転生しようとする魂を乗せて星空(宇宙)を旅する物語なのかもしれない。
持っている切符の行先で、降車駅が決まっているのは、来世の行先!?
現世で生を終えた魂が、一度、星へと変わる...
来世では、現世以上に、みんなの幸せのためとなれるような行先へと誘われる。
宮沢賢治の、そういう強い信念を感じる気がする。
そして。
「人との出逢いは、お互いが必要とするタイミングで出逢うものであり、お互いに助け合える関係である。だから、現世に生まれてきた時の自分の使命をまっとうするのに、自分一人では無理でも、出逢った人たちの協力も得ながら達成していけるもの。」
そんな思いも、宮沢賢治にあったのか??
ジョバンニは、まだ現世で生きているのに機関車に乗車することになったのは。。。
大親友カムパネルラが現世からお別れする際にお迎えに来た銀河鉄道に、偶然ジョバンニも乗り合わせることになったかもしれないけど...
でも!もしかしたら、大親友であったカムパネルラがジョバンニを誘う形で、銀河鉄道に乗り合わせるようなシチュエーションが出来たのかもしれないし...
つまり、現世でお互い信頼関係にあり、自分の魂の使命が似ている者同士であった二人だからこそ、分かりあえる世界があった。
銀河鉄道に乗って、二人で星空を旅しながら、カムパネルラが来世へ導かれる道中をジョバンニが助けてあげた。。。
そんな風には考えられないだろうか??
ロマン派の僕には、そんな風に映る。
もう二度とお目にはかからないかもしれないあのお姉さんと過ごしたわずか30分。
いつもの実車ルートでいつもの風景だけど、あのバス内での時間だって一種の銀河鉄道、いや銀河バス!?
来世は関係ないけど、、、蓋を開けてみれば、「文才」という似た雰囲気があった僕と彼女が過ごした時間。
それがきっかけで、『銀河鉄道の夜』の理解を深められたのかも?
本厚木駅で降車後、いつもなら通り過ぎ去っていくバスにはいちべつもくれずに素通りしていく彼女だが、今日だけはこっちの顔は見ずともバスに軽い会釈をしていった。
春到来に浮足立つ街並みでの、とある昼下がりの出来事だった。
"ひな祭り" 遊歩の行方
毎年、三月を迎えると、春めいてきたなぁと感じる。
二月下旬頃、春一番で春風を感じる出来事があり、また寒くなって...
それでも、三月を迎えれば、『三寒四温』となって温かい日の方が多くなるようだ。
「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言葉もあるが、お彼岸の頃までを待たずとも、三月に入ればようやく寒さから解放される喜びがあり、気分もひとしおウキウキしてくるものだ。
しかし、今年はそんな気分でもなかった。
一つには、新型コロナウイルスの影響があるだろう。
思いのほか、影響が日に日に大きくなり、どの業界でも影響が出始めて、つい先日は全国の小中高学校が急遽休校なんて事態にまで発展してしまった。
職場の60代の方の一人も、「今まで生きてきて、こんなことはなかったなぁ。前代未聞だよ。」なんてぼやいていた。
株価が落ちて、マスクやトイレットペーパーやカップラーメン等が品薄に...なんてなってくると、この先のことが何となく不安にもなってくるし・・・
「春が来たぁ~ウキウキ♡」なんて、能天気な気分でもいられなくなる。
そういった社会情勢に加えて、、、自分の身近なところでも "暗い陰" を感じれば、もはや「桜の開花が楽しみです。」なんて例年の恒例気分にもなれなかった。
そんなひな祭りだった先日。。。
午前番を終える頃、「今日昼食一緒に食べません?」と誘いを受けた。
ここ最近は、営業所とは離れた企業直属の送迎に入っていたため、久しぶりに営業所に顔を出したこともあり、誘いを受けた。
いつもは、中空き時間は一度会社から自宅へ帰宅するのだが、たまには家には帰らず職場の仲間と昼食を共にするのだ。
お互いの情報交換の意味もあるし、悩み相談もできる。
もうじきで、この会社に入社して早1年と半年近くが経とうとしている。
"超" が付く人見知りの僕だが、食事会を誘いやすい相手も出来始めたこの頃。
こうやって、誘ってもらえばなるべく断らないようにもしている。
古今東西、一緒に食事をすることの重要性って変わらないと思う。
行きつけのお店も出来る。
台湾料理のお店で、会社からも近く、ランチの値段が安いため行きやすい。
最近は、下手なチェーン店で食事するよりは、みんなでこのお店を利用しているのだ。
今年に入り、早2か月あまり。
このわずか2か月間で、職場で色んな出来事があった。。。
新しい仕事が入ってきた。
それと付随する出来事ととして、先輩が休職し、結局退職した。
また別な同僚は、新しい仕事を避けるかのように、別配属の "専属" 仕事の希望申請をしたり・・・
かと思えば、先輩同士の諍い(いさかい)が起こったという噂が流れ、どうやら本当らしいし。「どっちに味方するの??」と言わんばかりの "ご決断" を迫られる事態に。
つまり今職場は、流動的で不安定な状態ということだ。
しかし、そんな一連の出来事も、人ひとりの命の尊さに比べたらなんてことはない。
失われた命は、もう二度と戻ってこないのだから。。。
開店時間よりやや早い時間に到着したが、お店はもう開いていた。
すでにお客さんが数人入店しており、僕たち二人が入店すると、いつもの恰幅のよいおばちゃんが、「お好きな席へ」と、台湾人を思わせる訛りの入った日本語で案内した。
メニューをすぐさま決めると、先輩、といっても僕よりは10も年下の男の子だが、口ぶりはいつも先輩らしくきびきびとしており、 先ほど所長と直接話した内容を打ち明け始めた。
副業ができるのかどうか、コロナウイルスの影響で休職になった際の保障のあるなし、新しい仕事の話等々。
もちろん、最近職場でよく話題に挙がっている話でもあり、気にならない話ではないのだ。彼が、みんなを代表して所長に話を聞きつけにいってくれたことは有難かった。
ただ、それにも増して、"あの話題" に触れることは避けられないだろうと、僕もそして彼の方も念頭にあったようだ...
ひと通り話し終えた後、彼からその話題の口火を切った。
「知ってますよね?あの話・・・」
「あぁ 半ば信じがたいよ」
信じたくもない話。でも、現実は向こうからやって来る。
今、こうしている間にも、どこかの国では病気や飢えでなくなる人が大勢いる世界。
それが現実。
そして、中には、やむを得ない事情で自ら命を絶つ人だっているのだ。
そう、彼女のように。
自殺にやむを得ない事情なんてないかもしれないけど、、、
つい半年も経たない前までは彼女の元気な姿を知っている身として、やはりショックは隠せなかった。
彼も僕も、その話題は避けようとは思いながらも、自分の中で気持ちに整理がつかず、結果としてこうしてお互いの心の傷を舐め合うかのようにその話題に触れることになったのかもしれない。
正直なところ、酷な言い方にはなるが、彼女が亡くなったところで、僕や彼や他の職場の人間の日常が変わるわけではないだろう。彼女に限らず、世の中の不特定の人命がひとり亡くなったとしても、その影響力は皆無に等しい。
でも、病気とか事故ならいざ知らず、「自ら命を絶つ」という死の迎え方にはやはり "陰" を伴うものだと思う。
昔の日本の『切腹』風習とも、全然意味合いが違う。
自殺した本人を責めるような気持ちは一切ないけど、「何も、死に急がないでも...」
そんな気持ちにさせられる。
もうじき四十歳を迎えるオッサンになる僕だが、今まで何度も挫折してきた。
その度に、「もうダメかもしれないな。」なんて思う。
でも、結局なんとかなってきた。
なんとかなってきたから、今もこうして息をしているのだ。。。
その後は、彼と何を話したのか記憶にない。
久しぶりに二人きりでゆっくりと話せた昼食タイムだったが、まさかそんな話題を挙げながら話すことになろうとは夢にも思わなかった僕たち二人。
昼食後、職場と家の近い彼は一旦帰宅するということで、会社まで僕を送ってくれた後、彼とはそこで別れた。
僕は、時間帯的に家に帰るには遅すぎる時刻ということもあり、一旦帰宅は諦めてどこかで時間を潰すことにした。
会社の二階は休憩所として開放されており、たまに利用させてもらっているが、2時間以上ともなると時間を持て余してしまう。
別に職場の方たちが嫌いなわけではないけれど、その2時間以上をずっと職場の人たちと話しているのも気を遣うし、仮眠を取るにしてもなんとなく落ち着かない。
やはり、自分一人きりになれる時間というのは大切だと思う。
一人になって、ボ~っと何かについてなんとなく考えている時間が僕は好きだ。
そこで、前々から行ってみたいと思っていた、会社から車で10分の距離にある公園に行ってみることにした。
その公園は、平日だと無料で駐車場に停められる。
約1時間の仮眠を取った。
そこで目が覚めた。
仮眠中、子どもたちや大人の話し声で眠りが浅くなってはまた眠り、、、それを何度か繰り返しているうちに完全に意識が戻ってしまった。
「何か、見物客の流れって感じだったな」
そう思った僕は、残りのもう一時間は仮眠ではなく公園探索に使うことにした。
トイレを済ませた後、御手洗いの建屋近くにある公園マップに目が留まった。
どうやら、相模川沿いに遊歩道があるようだ。
さっそく行ってみることにした。
川沿いに行ってみると、思った以上に敷地が広く、下流から上流に向かって遊歩道が続いており、折り返し地点が遠すぎて先が見えない。
時間を潰すにはもってこいだ。
歩いていると、途中途中にサッカー場や野球場があり、平日ということもあり練習試合的なことは行われていないものの、遊歩道を歩く人口の8割は子供たちだった。
新型コロナウイルスの影響で学校が休校になり、急な休校ということもあって、連日時間を持て余しているであろう子供たちも大変そうだ。
僕たちの時代でも、テレビゲームというのが流行っていた頃なので、インドアで時間を潰す手段はあった時代。でも、さすがに毎日毎日テレビゲームでは気が滅入る。
やはり、こうして「公園とかで友達と遊ぶ」という光景を見かけると、子どもたちの健全な時間の過ごし方に思えるのは僕だけだろうか。
「学生時代に、アルバイトは何をやってたの?」
彼女の帰り際、帰り支度を終えまさに自転車にまたがろうとするかしないかのタイミングで、引き留めるかのように声をかけた。
「さぁ、何でしょう・・・」
すんなり教えてくれそうにないと悟った僕は、
「う~む。そうだな、意外と人相手の仕事とかやってたり??飲食とか、ガールズバーとか・・・」
"意外と" と付けても失礼にならないのは、「私は自他ともに認める内向的な性格なので。」と会話したことがあったためだった。実際、"自他ともに認める" 大人しい子だったと思う。
『ガールズバー』を付け加えたのは、僕なりの彼女の器量の良さに対する誉め言葉だった。
「さぁ、どうでしょうねぇ・・・」
少し間があった。
自転車にまたがり、自宅の方へ向きを変えると、去り際に
「やぎさんのご想像にお任せします。」
そう言うなり、颯爽と走り去っていった。
それが、彼女と生前に交わした最後の会話となってしまった。
その時分、「彼女は会社を辞めるかもしれない。」という噂が流れ始めた頃だったこともあり、
「もしかしたら、彼女とのやり取りはこれが最後になるかもしれないなぁ。」と、ふと頭をよぎったのを鮮明に覚えている。
今から考えると、虫の知らせだったようにも思える。
彼女と交わしたそのやり取りが、あまりにも印象的な出来事として記憶に残ってはいたが。。。
最後に交わした彼女との ”生前” のやり取りという、生前という余計な言葉を付けなければならないことが、何よりも悲しい。
でも、彼女の帰り際、僕は何を思ったのか、帰るのを妨げるかのように話しかけておいて良かったと、素直に思ってしまうのだ。
遊歩道は、実際に歩いてみるとそんなに距離がなかった。
気付いたら折り返し地点に来ており、今度は川沿いの道から民家が建ち並ぶ方の道へと歩を進めた。
ところどころに、樹木が植わっていて、川沿いに植わっている樹木といえば桜の木なのだろうけれど、見ても判別がつかなかった。
開花までにはもう少し。
まだつぼみらしきものも見当たらなかった。
海で言うところの防波堤にあたる法面を利用して、サッカー少年がシュートの練習をしていた。
しばし足を止め、その様子を眺めていると、その視線を意識したからなのか、シュートがとんでもない方向に打ってしまい、そのボールを走って取りに行った。
悪いことをしたなと思い、再び元来た駐車場の方へ足を進めた。
そう。そうなのである。
人と人は、お互い影響し合って生きている。
地球上にこれだけ多くの人口が暮らしているが、たとえ遠く離れた見ず知らずの人の人生であっても、たとえニュースとしてテレビの画面の中でしか見ることがないような人の人生であっても、自分とはまったく無関係であるはずがないのだ。
生前に交わした彼女とのやり取りも、僕が生き続ける以上は記憶として永久に残ることになる。
それが、普段思い出すことがない記憶であっても、何かしらの影響力を持ってして、僕は "生きる" ということを問われ続けることにきっとなる。。。
「彼女、昔ガールズバーで働いていたことがあるんだってさ。」
彼女が会社を辞めた後、ある同僚から話を教えてもらった。
やっぱりそうだったんじゃないかぁ・・・
「そう!当たり~!!どうして分かったの?」
そう言ってくれなかった辺りが、彼女らしい...
当てられたことへの驚きや恥ずかしさ...
自分の感情を素直に表現しない女の子ではあったけど、もしかしたら僕へのちょっとした "意地悪" の気持ちもあったのかな??
だとしたら、日頃は決して寄り付こうとしなかった僕に対しても親しみの感情はあったんだなぁ。。。
「もうすぐで春だったのに。
桜を見れば、気分や気持ちだって変わったかもしれないのに。。。」
相模川沿いの遊歩の途中に吹く風は温かく、春風を感じていた。
人生逆転ゲーム
随分前からコミックで出版され、人気が出てからは映画にもなった。
その映画も、本来は2部作で終わるはずだったようだが、好評だったようで、ついに『ファイナルゲーム』という第3作が公開された。
第3作は、コミックには一切ないストーリー。映画版ならではの話だ。
昨日観に行った。
『カイジ』という話は、どこにでもいる "覇気の無さ気な" 若者が、カリスマ性を発揮して、"人生の成功者" と呼ばれる大人たちと対決し一矢報いるという話だ。
物語の最後は、いつも決まって、大金を手放すことになり元の貧乏生活に戻るというオチなのだが。。。
この話は、日本人の中流意識の高さに焦点を当て、「いつでも誰でも、"社会の底辺" と見られる下流階級まで落ち込む可能性はあり、それでも自分の意思で生きていくことが尊いのであるから、社会の価値観に振り回され過ぎず結果ばかりに気を取られる必要もないよ。」。
ざっくり一言で言ってしまうと、そんなメッセージ性があるのだ。
「なんだ、随分と青臭い話なんだな。」
なんて思いもするが、、、
リストラや派遣切りというのが一昔前に流行ったことを考えると、他人事ではないし、筆者も人生で一度だけ派遣切りにあってその痛みは知っているつもりだし...
それはさておき。
カイジの表向きのメッセージ性とは別に、僕は "裏のメッセージ性" というのを感じ取っている。
「人生の勝者になれるという甘い誘惑があったら、断れるのか?」
お金、地位、安定・・・
諸々の報酬と引き換えに、一つだけ悪事を働いてほしい。
そんな時、その誘惑を断れるのか??
切り口を変えてみる。
例えば、つい先日逮捕されてしまった槇原敬之容疑者。沢尻エリカ被疑者も。
覚せい剤や危険ドラッグというのは、絶対に行ってはならないと、社会からは認められていない行いだが、それを犯してまで本業を成功させ続けることを選択した結果なのだ。
「見つからなければ良い。」「大丈夫、見つからない。」という気持ちがあったことは言うまでもない。
でも、いつ発覚するか、内心はビクビクしていたはずだろうし、けっして幸せな状態だったとは言えないだろう。。。
そうまでして、薬がくれる快楽・快感の誘惑に勝てないというのだから、相当なもんがあるんだろうなぁと。相当な効き目があるわけだ。
金にもなるわけだ。
薬物を作ったり、運んだり、売却すれば、楽して金が手に入る。。。
以前、警察学校でお世話になった教官で、忘れられない教官がいる。
その教官は、現役の刑事さんで、覚せい剤等(薬物)&暴力団&性風俗の取締り専門の刑事さんだった。
現場でも、"凄腕の刑事" として知られ、県内の関係者で知らない人はいないと噂されるほど切れ味が凄かった。
だから、警察学校の教官に選ばれたというわけだ。
教官というのは、全ての教官が期間限定である。
例外はない。
したがって、必ずいつかは現場の一線に戻ることになる。
「君たちが現場で活躍する頃、共に現場で働ける日が来ることを楽しみにしている。」というのが決まり文句である。
筆者も、警察学校卒業と同時に、現場に戻る教官がおり、たまたま同じ署に配属され、今度は一線署でもお世話になったなんてこともあった。。。
そんな昔話をするつもりではなかった。
凄腕の刑事さんの話。
その刑事さんが、たまたま寮の部屋の担当教官になった。
眼光が鋭く見た目は怖かったが、優しい方だった。
室員たちを可愛がってくれた恩は今でも忘れていない。
その刑事さん兼担当教官が言ってくれた言葉を一つだけ覚えている。
「君たちが長い人生を生きていると、トントン拍子に上手く行くことがあり、、、必ず "甘い誘惑" にぶち当たることがあるだろう。必ずある。そんなとき、まさに自分が試されている時なんだと思って、ここで生活して得たことを想い出してほしい。」
そんな言葉をくれた。
きっと、あの刑事さんも、"甘い誘惑" にぶち当たったことがあったからそんなことを言うんだろうし。。。
そして、その誘惑に勝てたから、凄腕の刑事として活躍し続けられたんだろうなぁ。
自分はまだ、甘い誘惑と思えるような体験はない。
だが、長い人生の中で、いつか、そんな誘惑が一度はあるかもしれない。
カイジを観て、そんな昔話を想い出した。
小室哲哉が天才と言われた所以をどう考えるか
以前のブログで、僕の人生は細切れのような転職人生だったことを紹介したことがあったかなかったか・・・
27歳まで学生だったが、学生時代は3~4年のスパンで、自己成長を遂げられていた気がする。
小学校だけは一年一年の伸びしろが大きいため例外だが、中学校以降はその学位が修了する段階で、学力的なことをはじめ、部活や人間関係のようなことまでを完結させられるのかなぁと。
何をもって『自己成長』とするかは非常にあいまいだが、例えば大学時代に教習所に通って運転免許を取得したということだって、自己成長といえるだろうし。
アルバイトをやって、お金を稼ぐ大変さを学んだことだって自己成長といえるだろうし。
学生時代は、その学位の修了年度を節目として、自覚できる自己成長を完結させられていた。。。
社会人になり、この約10年間で転職人生だった僕は、一つの会社に1~2年勤めては辞め...を繰り返した。
会社ごとに、全然ジャンルの違う分野を渡り歩いたため、スキルが0からのスタートで大変だった。
以前の会社で培ったスキルを次の会社で生かせないのだから。
逆に言えば、学生時代同様、それだけ自覚できる自己成長を感じられたとも言える。
少なくとも、その分野の知識や事情を理解することぐらいはできるわけだ。
「だから何?」って言われてしまうとそれまでだけどね(笑)
一方で。
会社をいくつ渡り歩いても、一向に自己成長を遂げられない、自己成長を感じられにくいスキルだってある。
それが、人間関係の構築のスキル。
これはもう、「こうすれば絶対上手くいく」という必勝法みたいなものがないのだ。
歳とともに、それなりにやってきているつもりではいるけどね。
なんていうか、40歳近くにもなれば自分のキャラも決まってきてるし、新たに身に付ける役割みたいなものにも先が見えているというか・・・
明確に「こんな自分になりたい!」という自己像があれば別だろうけど、どうもそこらへんが僕はあいまいなまま生きてきたし。
要は、「人間社会での立ち振る舞いでの伸びしろ」に、早くも限界を感じ始めているのだ。
自分のキャラをガラっと変える必要なんてないけど、なんていうか、学生時代とは違い、「自分も知らなかった自分に出逢う」とか「自分探しをして新たなアイデンティティを確立する」なんてものはもう期待できないのかなぁと。
ぼんやりと、そんな風に感じながら生きているわけです。
その昔、音楽業界の一世を風靡したアーティストの一人に、小室哲哉という人がいた。
”小室ファミリー” なんて造語もできたぐらいで、AVEX創設に大きく寄与したはずだ。
その小室さんが、まさに一世を風靡している段階で、すでに自分の限界を感じていたという話がある。
出す曲出す曲大ヒットを飛ばしている段階で、自分の限界を感じていたとはどういうことか??
「自分の将来的な伸びしろが見えてしまっていた」
と、テレビでコメントしていたのをたまたま視聴したことがあったのを妙に忘れられず覚えている。
自分の能力的な限界を感じる時も辛いが、それよりなにより、自分の伸びしろや期待値に限界を感じる時ほど辛いものはない。
練習しても練習してもこれぐらいまでしか自分は上手くはならないと分かってしまった時、努力しても努力してもここまでしか自分にはできないと感じてしまった時ほど、辛いものはない。
将来が分かってしまう時ほど、未来に退屈さを感じ、絶望を味わう時はないだろう。。。
小室哲哉は、大ヒットを飛ばしている最中に、すでに絶望感を味わっていた。
それが彼の非凡さであり、天才と呼ばれた所以なのかもしれない。
まぁ、僕含め普通の人は彼ぐらいに先の見通しが見えてしまうことはないだろうけど。
多少なりとも、それに似た経験というのはあるはずだ。
人間関係の構築の限界なんてのは、まさに永遠のテーマですよ!
と。
ここで、今回のブログを締めても良かったが、時間に余裕があるので、もう少し続けてみよう(笑)
人生には、時に、”想定外” というのが起こる。
想定外という言葉を聞くと、マイナスの印象を受ける。
確かに、人生はマイナスの想定外に見舞われがちだが、ごく稀にプラスの想定外だってある。
以前のブログで、横浜から町田に引っ越してきて変わったこと・習慣化したことなんて紹介したことがあった。
その一つに、「ご近所のスナック通い」というのを挙げた。
当初の予定では、、、予定というか自分の未来予測としては、せいぜい1~2か月で行かなくなるだろうと。
お店の女の子にも愛想を尽かされるだろうと。
勝手に予測していた。
ところがどっこい。
通い始めて早3か月が経とうとしている。
気付けば年をまたぎ、「良いお年を~♪」「あけおめ☆」である(笑)
もちろん、向こうは客商売だから、「今年もよろしくぅ~」とはなるだろうけどさ。
こっちも、行って面白くなければ行かなければよいだけの話なんだけど。
まず、カラオケ。
これが非常~に気持ち良い♪
採点機能とかで全然点数は出ないんですが、醜態をさらしながら人前で唄うって気持ち良いのよ(笑)
スナックって、若者向けの歌を唄う人はほぼいなくて、正直退屈な面もあるけどね(^-^;
「色んな曲知ってるよね~」とか、最近になって感心されるようになって気分が良いよね(笑)
そして・・・
色んな年代のお客さんとスタッフさんがいること。
もうじき40歳の自分でも、70代の人から見たら男の子扱いだからね(笑)
そこらへん、この歳になって童心に帰るといいますか、ママさんに甘えられるといいますか。。。
居心地が良くなってくる。
気付けば、自分の ”ホームグラウンド” になりつつあるわけだぁ(笑)
思わぬ形で、「人間関係の構築の限界」を破れるヒントを得られたわけです。
もう一つの想定外。
それが、今のバス会社への就職で経験していること。
スナック同様、職場でも自分より年配の方が多い。
もちろんスナックほど年上ではないけど、”人生の先輩” が多い職場なだけに、色々と知恵を学ぶ機会があったり。。。
何より!
「将来自分も、こんな人間になりたいなぁ」
と思わせてくれる方々がいる。
今の会社に就職前までは、自分のキャラの限界を感じていたり、新たなアイデンティティを確立することもないだろうと、行き詰まりを感じていた。
それがここにきて、自分の未来予測の変更・更新をすることになったのだ。
職場という思わぬ場所でも、「人間関係の構築の限界」を破れるヒントを得られているのであります。
図らずも...という偶然だが。
町田に戻ってきて、なんとなく、全体的に何かが機能し始めている!?
満月をあと何回見れるのか?
明けましておめでとうございます!
お久しぶりです。約一ヵ月ぶりとなりますか...
この一ヵ月の間、ブログを更新しようと思うことがあっても、なかなか腰を据えて文章書くことができなかった。
書こうと思っているうちに、色んな出来事が行事も積み重なり。
「師走=日頃走らない先生も走る」のが師走、12月とは昔の人は本当によく言ったものだ。
この一ヵ月は、ただ忙しかっただけでなく、自分の思考回路を整理できなかったというのもある。
僕のブログは、日頃の出来事を列挙するのが目的ではない。
『文豪たちは今日も~』のタイトル説明文にも書いてあるが、ありきたりな日常生活を通し、今までの自分とはちょっと違った視点の発見や気付きによって、"非日常感" を感じられたことをまとめているつもりだ。
そのため、投稿のネタとなるようなインスピレーション(直観)が舞い降りてこなければ、いつまで経ってもブログは更新されません(笑)
それが、このブログ。
さて、前置きはこのぐらいにして。。。
この一ヵ月の間は、忙しかっただけあり、出来事や行事そのものが "非日常" ではあった。
非日常=対処の仕方が分からない
ということにもなる。
つまり、気を張る、緊張するということになる。
僕は、気楽さが大好きだ。
適度な緊張は健康にも良いのだろうけど、如何せん「ビビりな」性格なもんで・・・
ことあるごとに、行動する前から「どうしようどうしよう」なのである。
もう数年経てば、人生40年生きていることになるけど、未だにどうしよう病は治らないのだ。
心配性。
それで、こんな心配性な僕は、よくこんなことを考えて乗り切っている。
例えば、明日、自分にとって物凄く心配される出来事が待っているなら、
「大丈夫。24時間後の明日の今頃にはすべて終わっているから。」と。
それがどんなに自分の思い描いたような現実にならなくても、どんなに辛い思いをすることになったとしても、未来の自分からしてみればすべて想い出。
「あんなこともあったなぁ。」で片づけられることなのだ。
そして、この発想の延長線上として。
ここ最近、こんなことを考えることがある。
「生きている間に、満月をあと何回見れるのだろうか?」と。
僕と一緒に考えてみてほしい。
満月は、一ヵ月に1回と決まっている。
太陰暦を使って、一年365日をきれいに12分割しているわけだ。
一年間で満月を拝めるのは12回。
でも、満月の日、いつも夜空が晴れているとは限らない。
仮に、天気を晴・曇・雨とおおざっぱに分け、雨の日以外は満月を観られるとしたら、3分の2の確率で観られることになる。
もちろん、晴れる確率・曇りになる確率...と、それぞれにも確率があって、厳密には数学的な確率の話が出てくるが、ここでは極端に話を単純化して考えてみよう。
さらに!
「満月を観よう」と思って、天体観測のごとく毎月の満月を楽しみにしている人もほとんどいないだろう。
せいぜい、ニュースになる『中秋の名月』の日ぐらいだろう、意識して観るのは。
ふと、夜空を見上げて、「今日は満月だな。」となるはずだ。
満月の日に、仕事等で外出しており、さらに満月に気付ける確率はどんなもんか。
仮に、2回に1回の確率としよう。
それでは、ここまでの話を整理すると。
一年間で、満月に気付いて観られる日は、
12×(3分の2)×(2分の1)=4回
となる。
丁度、ワンシーズンに一回の計算。春夏秋冬で一回ずつ。
人の人生80年としよう。
健康体で、布団に寝たきりになる前の人生80年としましょうか。
残りの寿命と掛け算してみれば、おおよその満月を拝める回数が出てくる計算だ。
僕だったら、人生あと40年として、40×4=160回。
これを多いと感じるか少ないと感じるか。
僕は、意外と少ないという感想だ。
なぜなら、今日満月を観たとして、次に満月を観る日までに、様々な出来事が起こっているだろう。
大きく状況も変わっているかもしれないし、自分の心配事等もあらかた片付いている気がする。楽しみなことや、結果が気になること等も、次に満月を観る日までにはあらかた片付いている気がするのだ。
それらのバトンリレーのような歳月の先に、人生の終結があると考えると、僕ならあとバトンリレーが160回で終わる。
「満月綺麗だな。」と思って、次に「満月綺麗だな。」と思う頃には、全然自分が想像だにしなかったような地で満月を眺めている可能性だってあるのだ。
それが人の人生。
歴史ヒストリー。
現代だって同じだよね、きっと。
何年経っても、、、
バトンリレーが終わる頃になっても、「満月綺麗だな。」と思える余裕と感性は失っていたくないなぁ。
”〇〇必勝法” の誘惑に勝てるか
昔、日テレの番組で、『アメリカ横断ウルトラクイズ』というのがあった。
私たち世代なら、小学生の頃までやっていたので記憶にあるだろう。
最初は、東京ドームの〇✖クイズから始まり、クイズを勝ち進むにつれアメリカ大陸に渡り、最後はニューヨークの自由の女神が見えるところで決勝戦っていう番組です。
今でも、夏頃には『高校生クイズ』というのが行われている。いた!?かな??
残念ながら、アメリカ横断~の方はとっくに番組は終わっていて、その後もしばらくの間は高校生クイズの方は行われていた。LIONの提供で。
そういえば、「何がでるかな何がでるかな」でお馴染みだった小堺一機の『ごきげんよう』なんて番組もあったなぁ・・・サイコロコロコロ・・・サイコロがコロコロね(笑)
なんて、懐かしみたいわけではない。
そう、アメリカ横断ウルトラクイズの話。
「気力・体力・時の運」
クイズを勝ち進めて行くのに、そういう決まり文句があった。
なんだか、スポーツや人生と被るけど(^-^;
どんどん人数が絞られてきて、アメリカ大陸に渡って、早押しクイズぐらいまで勝ち進めた段階で負けてしまうと、日本へ帰る前に「罰ゲーム」というのが待っている。
この罰ゲームをやらせる、というのが視聴率アップに貢献していたから人気番組として長年君臨し続けていたというのはあっただろう。
当時、小学生だった僕は、「なんでわざわざ罰ゲームなんていう嫌がらせをやらせるんだ。可愛いそう。」ぐらいに思っていた。
何が楽しいのか分からない。
小学生の感覚なら、まともといえばまともかな?
そんな小学生の僕が、非常に、もうスーパーミラクルウルトラ印象に残った罰ゲームというのがあった。
大人になった今でも、たまに思い出すことがある罰ゲーム。
知りたいですか?(笑)
その昔、Mrマリックというマジシャンが超人気で、一世を風靡した時期があった。
「ハンドパワーです」の人です。
スプーン曲げとか、諸々の... ”手品” とは一味違ったマジックを披露してくれた人。
手品だとタネがあるから、タネ明かしされると「なぁーんだぁ」ってなるけど、ハンドパワーは違った。
タネが無い。
タネが無くて、あくまで ”ハンドパワー” の力で不思議な現象を起こすんだと。
そういうマジシャンだったわけです。
さて。このMrマリックとアメリカ横断ウルトラの人気時期は一致していた。
番組プロデューサーなら、当然考えるわけです。
「Mrマリックを使えないかな」と。
そこでMrマリックが登場したのが、ある罰ゲームのとき。
その罰ゲームは、Mrマリックが考えた(本当は番組スタッフなんだろうけど)ものだった。
『神経衰弱』
早い話これだけ(笑)
そう、あのトランプを使った神経衰弱というゲームと瓜二つのゲームなんです。
トランプを全て裏返しにしていて、自分の番のとき一枚ずつ表にして、一回の番で計二枚を表にして、同じ数字だったらそのカード二枚を自分の物にし、合計のカード取得枚数を競うゲームです。
大切なのは、どこに何の数字のカードがあったのか、 ”しっかり覚えておくこと” である。
Mrマリックの罰ゲームは、数字ではなく、「A~Z」までの26枚のアルファベットカードの裏側に書いてある言葉を覚えるというゲーム。
例えば、A=桜、B=東京、C=車・・・のように、カテゴリーがバラバラの言葉が各カードの裏側に書いてあって、それを覚えていく。
正しく答えられたら、そのカードを自分の物にし、合計のカード取得枚数を競うというゲーム。
ルールは至って簡単!
えっ!それのどこが罰ゲームなの?
Mrマリックはどこで絡んでくるの??
そう思いますよね!?
この罰ゲーム。
実は、通常時の罰ゲームとは一味違い、『敗者復活戦』なのである。
ゲームで一番多くのカードを得られれば、その勝った誰か一人だけは敗者復活できるというゲームだった。
負けると...
永遠に忘れることができない
それらアルファベットカードの裏に何の言葉が書いてあったのかを...
ゲームに勝ったただ一人には、言葉の忘れ方ともう一つ!プレゼントが用意されていた。
それが、「Mrマリックの手形がプリントされたTシャツ」だった。。。
Mr「この手形には私のハンドパワーが込められているので、もしあなたがこのTシャツを着ている限り、クイズを勝ち抜いていけますよっ!」
今から考えると・・・
これは、ヤラセの要素があった番組だったかもしれないけどね。
その敗者復活戦で勝った人は、それからというもの、必ずTシャツを着てクイズをし、本当に自由の女神ニューヨークの決勝戦まで勝ち抜いてしまう。
ヤラセだったかどうか分からないけど。
小学生の僕が鮮明に覚えていること。
そして、大人になった僕が今でも思い出すこととは・・・
”あなただったら、Tシャツを着て決勝戦に参加しますか?”
「今日も、そのスーツの下にはTシャツを着ているんですか?」
アナウンサーの投げかけた質問に、視聴者の誰もが聞き耳をたてたことだろう。
決勝戦は毎年、クルーザーみたいな船だったか豪華客船の上だったか...
とにかく、船の上が決勝の戦場なのだった。
遠くには、ライトアップされた自由の女神。
毎年必ず、映像が映し出された。
そして、決勝を始める前に、アナウンサーから必ず二人の挑戦者に対して、長かった戦いを勝ち抜いてきたことへの労いの言葉とともに、一言、コメントを投げかけるのだった。
「いえ。」
この一言の言葉の意味を理解するのに、子どもだった僕にはどれぐらい時間がかかったのだろうか。。。
どれぐらいの間があったか。
「それはなぜですか?」
アナウンサーからのマイク越しの質問が夜の闇にエコーした。
「自分の実力でどれぐらい戦えるのか、試してみたかったんです。」
結局。
決勝では負けてしまう。
子どもだった僕は、「馬鹿な奴だなぁ。Tシャツ着てれば決勝だって勝って、優勝していただろう。」と思ったのを鮮明に覚えている。
月日は流れ・・・
僕も小学生から中学高校、大学、就職して、気付けばあの挑戦者と同じぐらいの歳になっていた。
今もし、僕があの挑戦者と同じ立場なら。
Tシャツは着ない。もちろん。
なぜなら、、、自分の実力でどれぐらい戦えるのか試してみたいから。
巷で、『〇〇必勝法』という本をよく見かける。
パチンコ、競馬、株などの賭け事・お金に関するものが多い気はするが、言葉は変えて『〇〇心理学』のように恋愛や仕事で成功するための成功術のようなものまで出回っている。
参考にはなる。確かに。
もし、「90%以上の確率で成功する必勝法」というのを知れるとしたら。
あなたはその術を学んだり必勝法を知ろうとしますか?
別に、悪いことではない。
ただ、一点。
もし、それで成功したとしても、本当に幸福感や面白さを楽しめるのだろうかと。
子どものころ、ファミリーゲームが好きで、とくにRPGが好きだった。
ドラゴンクエストやFFの類。
そういうゲームには、必ず『攻略本』というのが販売され、当時はそれを買うのが好きだった。
「その通りに行えば、必ず成功すると分かっていてゲームを進める」
今から考えると、そんなものに時間を費やして何が楽しかったのだろう...なんて思ってしまうが(^-^;
ゲームそのものを楽しむというよりは、「ゲームに勝つこと」が当時の目的だったと思う。
勝つことが目的なら、必勝法は絶対に知れた方が良い。
でも、遊び本来の目的からはズレていってしまう。。。
人生は、多くの選択だが。
「自分の判断で決断し、失敗や成功を経験する」
というのが、何よりも人生の醍醐味なのではないか。
歳を重ねるにつれ、そういう結論に行き辿り着くのだ。
先人たちの知恵を借りながらも、それは100%ではない。
『甲の薬は乙の毒』ではないが、他人にとって良いことが自分にとっても良いこととは限らないのだ。
そんなことをこの頃よく思う。