文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

"ひな祭り" 遊歩の行方

毎年、三月を迎えると、春めいてきたなぁと感じる。

二月下旬頃、春一番で春風を感じる出来事があり、また寒くなって...

それでも、三月を迎えれば、『三寒四温』となって温かい日の方が多くなるようだ。

「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言葉もあるが、お彼岸の頃までを待たずとも、三月に入ればようやく寒さから解放される喜びがあり、気分もひとしおウキウキしてくるものだ。

 

しかし、今年はそんな気分でもなかった。

 

 一つには、新型コロナウイルスの影響があるだろう。

思いのほか、影響が日に日に大きくなり、どの業界でも影響が出始めて、つい先日は全国の小中高学校が急遽休校なんて事態にまで発展してしまった。

職場の60代の方の一人も、「今まで生きてきて、こんなことはなかったなぁ。前代未聞だよ。」なんてぼやいていた。

 

株価が落ちて、マスクやトイレットペーパーやカップラーメン等が品薄に...なんてなってくると、この先のことが何となく不安にもなってくるし・・・

「春が来たぁ~ウキウキ♡」なんて、能天気な気分でもいられなくなる。

 

そういった社会情勢に加えて、、、自分の身近なところでも  "暗い陰" を感じれば、もはや「桜の開花が楽しみです。」なんて例年の恒例気分にもなれなかった。

そんなひな祭りだった先日。。。

 

 

 

午前番を終える頃、「今日昼食一緒に食べません?」と誘いを受けた。

ここ最近は、営業所とは離れた企業直属の送迎に入っていたため、久しぶりに営業所に顔を出したこともあり、誘いを受けた。

いつもは、中空き時間は一度会社から自宅へ帰宅するのだが、たまには家には帰らず職場の仲間と昼食を共にするのだ。

 

お互いの情報交換の意味もあるし、悩み相談もできる。

もうじきで、この会社に入社して早1年と半年近くが経とうとしている。

"超" が付く人見知りの僕だが、食事会を誘いやすい相手も出来始めたこの頃。

こうやって、誘ってもらえばなるべく断らないようにもしている。

古今東西、一緒に食事をすることの重要性って変わらないと思う。

 

 行きつけのお店も出来る。

台湾料理のお店で、会社からも近く、ランチの値段が安いため行きやすい。

最近は、下手なチェーン店で食事するよりは、みんなでこのお店を利用しているのだ。

 

 

今年に入り、早2か月あまり。

このわずか2か月間で、職場で色んな出来事があった。。。

 

新しい仕事が入ってきた。

それと付随する出来事ととして、先輩が休職し、結局退職した。

また別な同僚は、新しい仕事を避けるかのように、別配属の "専属" 仕事の希望申請をしたり・・・

かと思えば、先輩同士の諍い(いさかい)が起こったという噂が流れ、どうやら本当らしいし。「どっちに味方するの??」と言わんばかりの "ご決断" を迫られる事態に。

 

つまり今職場は、流動的で不安定な状態ということだ。

 

しかし、そんな一連の出来事も、人ひとりの命の尊さに比べたらなんてことはない。

失われた命は、もう二度と戻ってこないのだから。。。

 

 

 

開店時間よりやや早い時間に到着したが、お店はもう開いていた。

すでにお客さんが数人入店しており、僕たち二人が入店すると、いつもの恰幅のよいおばちゃんが、「お好きな席へ」と、台湾人を思わせる訛りの入った日本語で案内した。

 

メニューをすぐさま決めると、先輩、といっても僕よりは10も年下の男の子だが、口ぶりはいつも先輩らしくきびきびとしており、 先ほど所長と直接話した内容を打ち明け始めた。

副業ができるのかどうか、コロナウイルスの影響で休職になった際の保障のあるなし、新しい仕事の話等々。

もちろん、最近職場でよく話題に挙がっている話でもあり、気にならない話ではないのだ。彼が、みんなを代表して所長に話を聞きつけにいってくれたことは有難かった。

 

ただ、それにも増して、"あの話題" に触れることは避けられないだろうと、僕もそして彼の方も念頭にあったようだ...

ひと通り話し終えた後、彼からその話題の口火を切った。

「知ってますよね?あの話・・・」

「あぁ 半ば信じがたいよ」

 

信じたくもない話。でも、現実は向こうからやって来る。

今、こうしている間にも、どこかの国では病気や飢えでなくなる人が大勢いる世界。

それが現実。

そして、中には、やむを得ない事情で自ら命を絶つ人だっているのだ。

そう、彼女のように。

 

自殺にやむを得ない事情なんてないかもしれないけど、、、

つい半年も経たない前までは彼女の元気な姿を知っている身として、やはりショックは隠せなかった。

 

彼も僕も、その話題は避けようとは思いながらも、自分の中で気持ちに整理がつかず、結果としてこうしてお互いの心の傷を舐め合うかのようにその話題に触れることになったのかもしれない。

 

正直なところ、酷な言い方にはなるが、彼女が亡くなったところで、僕や彼や他の職場の人間の日常が変わるわけではないだろう。彼女に限らず、世の中の不特定の人命がひとり亡くなったとしても、その影響力は皆無に等しい。

でも、病気とか事故ならいざ知らず、「自ら命を絶つ」という死の迎え方にはやはり "陰" を伴うものだと思う。

昔の日本の『切腹』風習とも、全然意味合いが違う。

自殺した本人を責めるような気持ちは一切ないけど、「何も、死に急がないでも...」

そんな気持ちにさせられる。

 

 もうじき四十歳を迎えるオッサンになる僕だが、今まで何度も挫折してきた。

その度に、「もうダメかもしれないな。」なんて思う。

でも、結局なんとかなってきた。

なんとかなってきたから、今もこうして息をしているのだ。。。

 

 

 

その後は、彼と何を話したのか記憶にない。

久しぶりに二人きりでゆっくりと話せた昼食タイムだったが、まさかそんな話題を挙げながら話すことになろうとは夢にも思わなかった僕たち二人。

 

昼食後、職場と家の近い彼は一旦帰宅するということで、会社まで僕を送ってくれた後、彼とはそこで別れた。

 

僕は、時間帯的に家に帰るには遅すぎる時刻ということもあり、一旦帰宅は諦めてどこかで時間を潰すことにした。

会社の二階は休憩所として開放されており、たまに利用させてもらっているが、2時間以上ともなると時間を持て余してしまう。

別に職場の方たちが嫌いなわけではないけれど、その2時間以上をずっと職場の人たちと話しているのも気を遣うし、仮眠を取るにしてもなんとなく落ち着かない。

やはり、自分一人きりになれる時間というのは大切だと思う。

一人になって、ボ~っと何かについてなんとなく考えている時間が僕は好きだ。

 

 そこで、前々から行ってみたいと思っていた、会社から車で10分の距離にある公園に行ってみることにした。

 

 

その公園は、平日だと無料で駐車場に停められる。

約1時間の仮眠を取った。

そこで目が覚めた。

仮眠中、子どもたちや大人の話し声で眠りが浅くなってはまた眠り、、、それを何度か繰り返しているうちに完全に意識が戻ってしまった。

 

「何か、見物客の流れって感じだったな」

そう思った僕は、残りのもう一時間は仮眠ではなく公園探索に使うことにした。

 

 トイレを済ませた後、御手洗いの建屋近くにある公園マップに目が留まった。

どうやら、相模川沿いに遊歩道があるようだ。

さっそく行ってみることにした。

 

 

川沿いに行ってみると、思った以上に敷地が広く、下流から上流に向かって遊歩道が続いており、折り返し地点が遠すぎて先が見えない。

時間を潰すにはもってこいだ。

 

歩いていると、途中途中にサッカー場や野球場があり、平日ということもあり練習試合的なことは行われていないものの、遊歩道を歩く人口の8割は子供たちだった。

 

新型コロナウイルスの影響で学校が休校になり、急な休校ということもあって、連日時間を持て余しているであろう子供たちも大変そうだ。

僕たちの時代でも、テレビゲームというのが流行っていた頃なので、インドアで時間を潰す手段はあった時代。でも、さすがに毎日毎日テレビゲームでは気が滅入る。

やはり、こうして「公園とかで友達と遊ぶ」という光景を見かけると、子どもたちの健全な時間の過ごし方に思えるのは僕だけだろうか。

 

 

 

 「学生時代に、アルバイトは何をやってたの?」

彼女の帰り際、帰り支度を終えまさに自転車にまたがろうとするかしないかのタイミングで、引き留めるかのように声をかけた。

 

「さぁ、何でしょう・・・」

すんなり教えてくれそうにないと悟った僕は、

「う~む。そうだな、意外と人相手の仕事とかやってたり??飲食とか、ガールズバーとか・・・」

 

"意外と" と付けても失礼にならないのは、「私は自他ともに認める内向的な性格なので。」と会話したことがあったためだった。実際、"自他ともに認める" 大人しい子だったと思う。

ガールズバー』を付け加えたのは、僕なりの彼女の器量の良さに対する誉め言葉だった。

 

「さぁ、どうでしょうねぇ・・・」

少し間があった。

自転車にまたがり、自宅の方へ向きを変えると、去り際に

「やぎさんのご想像にお任せします。」

そう言うなり、颯爽と走り去っていった。

 

それが、彼女と生前に交わした最後の会話となってしまった。

 

その時分、「彼女は会社を辞めるかもしれない。」という噂が流れ始めた頃だったこともあり、

「もしかしたら、彼女とのやり取りはこれが最後になるかもしれないなぁ。」と、ふと頭をよぎったのを鮮明に覚えている。

今から考えると、虫の知らせだったようにも思える。

 

彼女と交わしたそのやり取りが、あまりにも印象的な出来事として記憶に残ってはいたが。。。

最後に交わした彼女との ”生前” のやり取りという、生前という余計な言葉を付けなければならないことが、何よりも悲しい。

 でも、彼女の帰り際、僕は何を思ったのか、帰るのを妨げるかのように話しかけておいて良かったと、素直に思ってしまうのだ。

 

 

 

 遊歩道は、実際に歩いてみるとそんなに距離がなかった。

気付いたら折り返し地点に来ており、今度は川沿いの道から民家が建ち並ぶ方の道へと歩を進めた。

 

ところどころに、樹木が植わっていて、川沿いに植わっている樹木といえば桜の木なのだろうけれど、見ても判別がつかなかった。

開花までにはもう少し。

まだつぼみらしきものも見当たらなかった。

 

海で言うところの防波堤にあたる法面を利用して、サッカー少年がシュートの練習をしていた。

しばし足を止め、その様子を眺めていると、その視線を意識したからなのか、シュートがとんでもない方向に打ってしまい、そのボールを走って取りに行った。

悪いことをしたなと思い、再び元来た駐車場の方へ足を進めた。

 

 

そう。そうなのである。

人と人は、お互い影響し合って生きている。

地球上にこれだけ多くの人口が暮らしているが、たとえ遠く離れた見ず知らずの人の人生であっても、たとえニュースとしてテレビの画面の中でしか見ることがないような人の人生であっても、自分とはまったく無関係であるはずがないのだ。

 

生前に交わした彼女とのやり取りも、僕が生き続ける以上は記憶として永久に残ることになる。

それが、普段思い出すことがない記憶であっても、何かしらの影響力を持ってして、僕は "生きる" ということを問われ続けることにきっとなる。。。

 

 

 

「彼女、昔ガールズバーで働いていたことがあるんだってさ。」

彼女が会社を辞めた後、ある同僚から話を教えてもらった。

 

やっぱりそうだったんじゃないかぁ・・・

 

「そう!当たり~!!どうして分かったの?」

そう言ってくれなかった辺りが、彼女らしい...

当てられたことへの驚きや恥ずかしさ...

自分の感情を素直に表現しない女の子ではあったけど、もしかしたら僕へのちょっとした "意地悪" の気持ちもあったのかな??

 だとしたら、日頃は決して寄り付こうとしなかった僕に対しても親しみの感情はあったんだなぁ。。。

 

 

 

「もうすぐで春だったのに。
桜を見れば、気分や気持ちだって変わったかもしれないのに。。。」

 

相模川沿いの遊歩の途中に吹く風は温かく、春風を感じていた。