文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

小室哲哉が天才と言われた所以をどう考えるか

以前のブログで、僕の人生は細切れのような転職人生だったことを紹介したことがあったかなかったか・・・

 

27歳まで学生だったが、学生時代は3~4年のスパンで、自己成長を遂げられていた気がする。

小学校だけは一年一年の伸びしろが大きいため例外だが、中学校以降はその学位が修了する段階で、学力的なことをはじめ、部活や人間関係のようなことまでを完結させられるのかなぁと。

何をもって『自己成長』とするかは非常にあいまいだが、例えば大学時代に教習所に通って運転免許を取得したということだって、自己成長といえるだろうし。

アルバイトをやって、お金を稼ぐ大変さを学んだことだって自己成長といえるだろうし。

学生時代は、その学位の修了年度を節目として、自覚できる自己成長を完結させられていた。。。

 

社会人になり、この約10年間で転職人生だった僕は、一つの会社に1~2年勤めては辞め...を繰り返した。

 

会社ごとに、全然ジャンルの違う分野を渡り歩いたため、スキルが0からのスタートで大変だった。

以前の会社で培ったスキルを次の会社で生かせないのだから。

 逆に言えば、学生時代同様、それだけ自覚できる自己成長を感じられたとも言える。

少なくとも、その分野の知識や事情を理解することぐらいはできるわけだ。

「だから何?」って言われてしまうとそれまでだけどね(笑)

 

一方で。

会社をいくつ渡り歩いても、一向に自己成長を遂げられない、自己成長を感じられにくいスキルだってある。

 

それが、人間関係の構築のスキル。

これはもう、「こうすれば絶対上手くいく」という必勝法みたいなものがないのだ。

歳とともに、それなりにやってきているつもりではいるけどね。

なんていうか、40歳近くにもなれば自分のキャラも決まってきてるし、新たに身に付ける役割みたいなものにも先が見えているというか・・・

明確に「こんな自分になりたい!」という自己像があれば別だろうけど、どうもそこらへんが僕はあいまいなまま生きてきたし。

要は、「人間社会での立ち振る舞いでの伸びしろ」に、早くも限界を感じ始めているのだ。

自分のキャラをガラっと変える必要なんてないけど、なんていうか、学生時代とは違い、「自分も知らなかった自分に出逢う」とか「自分探しをして新たなアイデンティティを確立する」なんてものはもう期待できないのかなぁと。

ぼんやりと、そんな風に感じながら生きているわけです。

 

 

 

その昔、音楽業界の一世を風靡したアーティストの一人に、小室哲哉という人がいた。

小室ファミリー” なんて造語もできたぐらいで、AVEX創設に大きく寄与したはずだ。

 

その小室さんが、まさに一世を風靡している段階で、すでに自分の限界を感じていたという話がある。

出す曲出す曲大ヒットを飛ばしている段階で、自分の限界を感じていたとはどういうことか??

「自分の将来的な伸びしろが見えてしまっていた」

と、テレビでコメントしていたのをたまたま視聴したことがあったのを妙に忘れられず覚えている。

 

 自分の能力的な限界を感じる時も辛いが、それよりなにより、自分の伸びしろや期待値に限界を感じる時ほど辛いものはない。

練習しても練習してもこれぐらいまでしか自分は上手くはならないと分かってしまった時、努力しても努力してもここまでしか自分にはできないと感じてしまった時ほど、辛いものはない。

将来が分かってしまう時ほど、未来に退屈さを感じ、絶望を味わう時はないだろう。。。

 

小室哲哉は、大ヒットを飛ばしている最中に、すでに絶望感を味わっていた。

それが彼の非凡さであり、天才と呼ばれた所以なのかもしれない。

 

 

まぁ、僕含め普通の人は彼ぐらいに先の見通しが見えてしまうことはないだろうけど。

多少なりとも、それに似た経験というのはあるはずだ。

 

人間関係の構築の限界なんてのは、まさに永遠のテーマですよ!

 

 

と。

ここで、今回のブログを締めても良かったが、時間に余裕があるので、もう少し続けてみよう(笑)

 

 

 人生には、時に、”想定外” というのが起こる。

想定外という言葉を聞くと、マイナスの印象を受ける。

確かに、人生はマイナスの想定外に見舞われがちだが、ごく稀にプラスの想定外だってある。

 

以前のブログで、横浜から町田に引っ越してきて変わったこと・習慣化したことなんて紹介したことがあった。

その一つに、「ご近所のスナック通い」というのを挙げた。

当初の予定では、、、予定というか自分の未来予測としては、せいぜい1~2か月で行かなくなるだろうと。

お店の女の子にも愛想を尽かされるだろうと。

勝手に予測していた。

 

ところがどっこい。

通い始めて早3か月が経とうとしている。

気付けば年をまたぎ、「良いお年を~♪」「あけおめ☆」である(笑)

 

もちろん、向こうは客商売だから、「今年もよろしくぅ~」とはなるだろうけどさ。

こっちも、行って面白くなければ行かなければよいだけの話なんだけど。

 

 まず、カラオケ。

これが非常~に気持ち良い♪

採点機能とかで全然点数は出ないんですが、醜態をさらしながら人前で唄うって気持ち良いのよ(笑)

スナックって、若者向けの歌を唄う人はほぼいなくて、正直退屈な面もあるけどね(^-^;

「色んな曲知ってるよね~」とか、最近になって感心されるようになって気分が良いよね(笑)

 

そして・・・

色んな年代のお客さんとスタッフさんがいること。

 

もうじき40歳の自分でも、70代の人から見たら男の子扱いだからね(笑)

そこらへん、この歳になって童心に帰るといいますか、ママさんに甘えられるといいますか。。。

居心地が良くなってくる。

気付けば、自分の ”ホームグラウンド”  になりつつあるわけだぁ(笑)

 

思わぬ形で、「人間関係の構築の限界」を破れるヒントを得られたわけです。

 

 

もう一つの想定外。

それが、今のバス会社への就職で経験していること。

 

スナック同様、職場でも自分より年配の方が多い。

もちろんスナックほど年上ではないけど、”人生の先輩”  が多い職場なだけに、色々と知恵を学ぶ機会があったり。。。

何より!

「将来自分も、こんな人間になりたいなぁ」

と思わせてくれる方々がいる。

 

今の会社に就職前までは、自分のキャラの限界を感じていたり、新たなアイデンティティを確立することもないだろうと、行き詰まりを感じていた。

それがここにきて、自分の未来予測の変更・更新をすることになったのだ。

 

職場という思わぬ場所でも、「人間関係の構築の限界」を破れるヒントを得られているのであります。

 

 

図らずも...という偶然だが。

町田に戻ってきて、なんとなく、全体的に何かが機能し始めている!?