文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

銀河鉄道の夜のような昼下がり

僕は、子どもの頃、人懐っこい性格だった。

 

知らない大人に話しかけるのが好きだった。

 

大人になるにつれ、人と壁を作るようになり、、、

気付けば!「超」が付く人見知り人間になった。

 

ところが、ここ最近は、アラフォーで40歳近くになったからなのか...

思春期や青春期のような恥じらいが消えつつある!?(^-^;

またまた人懐っこい一面が顔を出し始めた??

 

 

今までブログで、僕がバスの運転手であることを話す機会がチラホラあった。

『企業送迎』というもの。

 

市街地にある停留所に一つ一つ停車していく路線バスと違い、ある企業さんと最寄り駅とを回送(急行)しながら走るのが企業送迎バス。

そのため、運賃を考える必要がなかったり、便ごとに事前にお客さんの人数が把握できたり。

ということは!何より、お客さんと "顔馴染みになる" ということになるのだぁ。

 

でも、普通、運転手さんに雑談交じりに話しかけてくるお客さんなんていない。

昔の日本のような『粋な計らい文化』は廃れ、現代なら「運転手に話しかけるなんて、どんだけ寂しい人間なんだ」とか思われやすい時代・風潮もあるからね。

 

もちろん、仕事中である運転手の方からお客さんの方に話しかけるのは良しとはされないため、こっちから話しかけることも控えている。

 

従って、顔馴染みになっても、顔馴染み以上の関係にはならない。

まぁ、当然と言えば当然なのだが(笑)

 

 

 しかし、今日は例外だった。

 

我が社では、四月から本厚木駅便が無くなり、別の最寄り駅の便に変更になる。

そういう告知を受けたばかりだった。

 

今日、たまたま、その本厚木駅便を担当した。

 

いつも、その便には、たった一人のお客さんが乗車されることが多いのだ。

歳にして、僕より10は若いお姉さん。

いつも、「本厚木までお願いします☆」と元気よく挨拶してくれる。

「たった一人」「元気に挨拶」ということで、今の会社に入社してからすぐに印象に残るお客さんだった。

でも、雑談交じりに話しかけられることはもちろんないし、僕が話しかけることももちろんない。。。

 

 

「このお客さんとお会いするのは、もしかしたら最後になるかもしれないな。」

と頭をよぎった。

 

そこで、僕は、思い切って話しかけてみることにした。

 

「あのぉ~、すみません。突然話しかけてしまい、、、ビックリさせてしまいすみません。」

 

 

 それをきっかけに、話が思わぬ方向へと弾むことになった。

 

お姉さん「海老名駅は大きいけど、本厚木駅に慣れ親しんだもので・・・古本屋とかよく行くんですけど、慣れた駅の方が本を探しやすいじゃないですかぁ~」

僕「本を読むのが好きなんですね!自分で文章は書かないの?例えば、SNSとかで、ブログとか・・・」

お姉さん「ブログみたいな日記形式のはやってないんです。ただ、むしろ、、、小説を書いてます。」

 

意外な答えが返ってきて、僕はしばし言葉を選んだ。

 

僕「小説だと、自分の体験を基にして小説を書くっていう人が多いと思うんだけど。よく、そういう話を耳にする。でも、お姉さんは若いし...人生経験という点で、小説にする題材を見つけるのが大変じゃないのかな??」

 

 やや失礼になるかな?と思ったものの、率直な思いを伝えてみた。

すると、こちらの反応をすべてお見通しと言わんばかりに、丁寧かつ明確な説明をしてくれたのだった。

 

お姉さん「例えば、今の時期だったら、コロナウイルスとか桜っていうキーワードがすぐ思い付くと思うんです。そこから想像力で話を膨らませていけばいいんです。テーマは、恋愛とかミステリーとか...色々あるけど、コロナウイルスというキーワードから恋愛小説だって作れるし、桜というキーワードからミステリー小説だって作れるんですよ!」

 

企業から最寄り駅まで、わずか30分ほどの時間なのだが、「この女性は小説を書くために生まれてきたのかな?」と思わせるほどの説得力とエネルギーがあった。

 

いつも、元気よく挨拶してくれる理由が分かった気がした。

 

 

 

お姉さんを降車させ、回送中、ふと、ここ最近ずっと頭の中を駆け巡っていた "ある疑問" に対する答えが分かった気がした。

 

 「宮沢賢治は、輪廻転生の想いを大切にしていたんだ!」

 

銀河鉄道の夜

 

ジョバンニとカムパネルラの話。

皆さんは、読んだことがあるだろうか?

内容は割愛させてもらい、皆さん知っていることを前提で話を進めさせてもらう。

 

 

「人は、何かしらの目的を持って生まれてくるのかもしれない。」

 

みんなを幸せにするため・・・

 

より多くの、生きとし生けるものを幸せにするため、何かしらの使命を帯びて生まれてくる。

それが、小説家だったり、ミュージシャンだったり、アスリートだったり...

職業でなくても、、、

「まっ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみをてらす」

さそりのような生命だってあるのだろう。

 

 

 あの『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニを迎えに来る機関車は、生まれ変わって輪廻転生しようとする魂を乗せて星空(宇宙)を旅する物語なのかもしれない。

 

持っている切符の行先で、降車駅が決まっているのは、来世の行先!?

現世で生を終えた魂が、一度、星へと変わる...

 

来世では、現世以上に、みんなの幸せのためとなれるような行先へと誘われる。

宮沢賢治の、そういう強い信念を感じる気がする。

 

 

そして。

「人との出逢いは、お互いが必要とするタイミングで出逢うものであり、お互いに助け合える関係である。だから、現世に生まれてきた時の自分の使命をまっとうするのに、自分一人では無理でも、出逢った人たちの協力も得ながら達成していけるもの。」

そんな思いも、宮沢賢治にあったのか?? 

 

ジョバンニは、まだ現世で生きているのに機関車に乗車することになったのは。。。

 

大親友カムパネルラが現世からお別れする際にお迎えに来た銀河鉄道に、偶然ジョバンニも乗り合わせることになったかもしれないけど...

でも!もしかしたら、大親友であったカムパネルラがジョバンニを誘う形で、銀河鉄道に乗り合わせるようなシチュエーションが出来たのかもしれないし...

 

つまり、現世でお互い信頼関係にあり、自分の魂の使命が似ている者同士であった二人だからこそ、分かりあえる世界があった。

銀河鉄道に乗って、二人で星空を旅しながら、カムパネルラが来世へ導かれる道中をジョバンニが助けてあげた。。。

 

そんな風には考えられないだろうか??

ロマン派の僕には、そんな風に映る。

 

 

 

 もう二度とお目にはかからないかもしれないあのお姉さんと過ごしたわずか30分。

いつもの実車ルートでいつもの風景だけど、あのバス内での時間だって一種の銀河鉄道、いや銀河バス!?

来世は関係ないけど、、、蓋を開けてみれば、「文才」という似た雰囲気があった僕と彼女が過ごした時間。

それがきっかけで、『銀河鉄道の夜』の理解を深められたのかも?

 

本厚木駅で降車後、いつもなら通り過ぎ去っていくバスにはいちべつもくれずに素通りしていく彼女だが、今日だけはこっちの顔は見ずともバスに軽い会釈をしていった。

 

 

春到来に浮足立つ街並みでの、とある昼下がりの出来事だった。