文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

あのコロナの時に・・・

まずは、コロナウイルスで亡くなった方々に、本当にお悔やみ申し上げます。。。

 

 

前例をみないほどのコロナウイルスの脅威に、ほとんどの人が「まさかこんなことになるなんて...」との思いだと思う。

 

コロナウイルスの脅威は、『全世界』という広範囲でありすべての人間が関わってくるということ、更には一過性のものではなく収束するのに時間がかかり、いつ収束するのかも予測がたたないという二点。

 

この二点が、今まで僕が経験した世間を騒がすような事故や出来事と大きく違うのだ。

 

 

今までだって、「他人事」と割り切って考えていたつもりはないのだけれど、時間の経過とともに人間の記憶から薄れていくのは仕方のないことなのかもしれない。

 

例えば、東日本大震災

福島第一原発廃炉には50年とか下手したら100年とかいう、半世紀から一世紀に渡っての途方もない時間がかかると言われている。

溜まる一方の汚染水。。。

避難警戒区域もだいぶ狭まり、道路や鉄道も開通し建物も再建される一方で、放射能汚染の問題や放射能そのものの恐怖から完全に解放されたわけではないのだけれど、一昔前のようにニュースや特集で扱われることは格段に少ない。

 

人類は同じ過ちの繰り返し

なんてよく言われるけど、良くも悪くもこの "忘れっぽさ" というのが人間の特徴なのだ。。。

 

 

その点。

このコロナ騒動で、お亡くなりになってしまった方、有名人というのは逆に忘れ去られにくい存在かもしれない・・・

 

昔、脚本家や小説家で知られる向田邦子という人がいたのを御存じの方も多いと思う。

日航機墜落事故で亡くなった方だ。

御巣鷹山に旅客機が墜落した大変痛ましい事故で、僕が3歳の時だった。

その当時の記憶としては残っておらず、大きくなってから事故のことを知り、この事故を題材にしたテレビドラマを見たことがある程度。

向田邦子さんの生前は、僕が生まれる前にご活躍した脚本家のため、正直なところ作品には馴染みがない。それゆえ、失礼ながら僕の中では向田邦子といったら日航機墜落事故が思い浮かんでしまう。

そして。

日航機墜落事故といえば、俳優や歌手で活躍した坂本九さんを思い出す人も多いはずだ。

 

 

人は、いつかは亡くなる。

生まれてきたからには、いつかは死ななければならない。

死んでしまう原因など、挙げたらきりがない。

ある人物が死んだとき、まだ生きている・あとに残された者達にとってどういう印象としてその人物が残るのか。

 

率直な感想として。

もし、向田邦子さんや坂本九さんが、何かしらの病気を患って亡くなっていたのなら、後世の人たちの記憶にどれだけ残りどれだけの印象を与えたかは定かではない。

"あの日航機墜落事故の時に亡くなった" という悲惨さがあるからこそ、後世の人間の記憶に留まることとなったと、言葉で言ってしまうとなんだか残酷な響きに聞こえてしまうけど。

実際のところ、そういうようなものはあるんだと思う。

人に同情の気持ちを与えるような死は、きっと人々の心に残るものなのかなぁって思うのだ。

 

コロナですでに亡くなってしまった志村けんさんや岡江久美子さんも、きっとコロナ収束後もいつまでも忘れ去られない存在として、人々の記憶に残るんだと思う。

たくさんの人から愛され、お茶の間を賑やかにした志村けんさんと岡江久美子さんらしい死だったのかもしれないな、と僕は思う。

 

 

 

でも。。。

当然、自分がどんな死に方をするにせよ、死は死。

その死に良いも悪いもないのだ。

 

自分が生きている間、いかに楽しく充実した毎日を送れるか

それだけの話である。