アンチ・フォトジェニック
決して、『インスタ映え』を否定したいわけではない。
むしろ!
僕は、スマホで写真を撮るのが好きで、出来るだけ記録に残しておきたい質。
後で振り返ったときに、「こんなことがあったな、あんなこともあったなぁ」なんて想い出に浸るのが好きなのだ。
だから、どちらかと言うと、僕の場合はSNSにブログを投稿するためというよりは、後日自分で振り返りの時間のために写真を撮ることが多いのである。
さて。
写真を撮る目的は人それぞれだろうが、ここで注目したい点は、”何を撮るのか” という被写体についての話。
・誰かとどこかへ行ったときの記念撮影
・一風変わったお料理や食べ物(まさにインスタ映えするような)
・綺麗な風景
などなど...
これらは、「日頃では体験しない珍しい出来事」「めったにお目にかかれないモノ」等がカメラの被写体として、実は無意識的に選ばれているということになる。
言い換えると、
「日常」ではなく「”非日常” の中の出来事」を撮影していると言えるのではないだろうか。
もしくは、
「日常の中の出来事を、”非日常” で体験したことのように味わえるよう特撮行為」をしていると言えないだろうか。
以前、横浜に住んでいた頃は、スマホ内の写真データをプリントアウト(現像)するサービスを定期的に利用していた。
その現像写真たちは、ちゃんとファイルに収納しアルバムにしている。
今こうして、手元にアルバムを置いて見返していると、やはり僕も ”楽しかった想い出集♪” のアルバムになっているようだ。
まぁ当然のことと言えば当然のことだ。
誰が、日頃の大変だったり辛い記憶を呼び起こさせるような写真を、わざわざ現像しアルバム化するだろう。
でもここで、ふと立ち止まって考えてみる。
『アルバムを、自分で鑑賞用としてだけでなく、親しい友人や家族とか第三者に ”自分を知ってもらうための自己紹介画像集" としての役割を持たせたいなら、果たして ”楽しかった想い出集♪” アルバムに留まってよいのか?』
という疑問が湧いてくるのだ。
すなわち。
『自分を知ってもらうのに、インスタ映えしている写真ばかりではなく、もっと日常感あふれる写真や、ありのままの自分をさらけ出すような写真も盛り込んだ方が、自分の素を分かってもらえるだろうし、鑑賞する側としてはきっと面白さも感じながら鑑賞できるのではないか?』
という素朴な疑問なのだ。
そこで。
筆者は、筆者の日常を画像化するためにはどうすればいいのか、を考察してみた。
まず考えられるのは、職場の写真。
僕のように、転職人生の歩んでいると、1~2年に一回の頻度で職場に関する写真を盛り込むだけで、立派な自己紹介画像集として成り立つだろう。
しかし、一口に「職場の写真」と言っても、職場の何を撮影すればいいのかという問題にぶち当たる。
建物では面白みが全然ないし、制服を着た職場の方々を撮影するとなるとプライバシーの問題とか...意外と自分の日常を写真に収めることの難しさを感じる(^-^;
職場で働いている人が写らないようにして、労働環境を撮影すれば多少なりとも伝わるものがあるかもしれないが、、、なんだか社会科見学を写真撮影したようなアルバム集となり微妙では??(笑)
「もっと他に、筆者の人物性が伝わるような良い被写体がないものだろうか。。。」
そう思い、ふと視線を遠くに目をやると・・・!
あるではないか!!
そう、部屋の様相。
本棚には、自叙伝やら随筆分やらの『本』もあるけど、『CDアルバム』なんかも詰められていたり、サングラスのケースとか、貯金箱なんかも見える。
本らしい本なんて、どれほどあるのだろうか(笑)
今度は、壁紙に視線を移してみる。
綺麗な星空の写真、決めポーズをとり笑顔の女性のポスター・・・
今年のカレンダーだ。
まだまだある。
『相田みつを』さんの言葉のハガキとか、「お疲れさまでした!」の色紙(以前の職場の方が書いてくれたコメント)などなど
そして、極めつけは
グラビアアイドルのB5サイズのポスターの数々(週刊『ヤングマガジン』のカラー刷りページを切り貼りしたもの)
である。
これらこそまさに、僕の人物性・日常を如実に表してくれる被写体ではないかぁ!
よって、これらを画像化して写真アルバム集を作れば解決!!
・・・
ここで、藪から棒ではあるが、少し想像してもらいたい。
将来、仮に、僕が結婚することがあるとして。
そして子どもが生まれたとして。
その子どもがある程度成長し。
たまたま、何かの間違いで、パパ(つまり筆者)のアルバム集を見つけてしまったとしよう。
”子どもが成長する” までは、絵に描いたような幸せな家庭生活である。
そんな、幸せな家族に、ある日突然衝撃が走る日が来ることになるわけだ。
息子なら、まだ、男の仲間意識から言い訳ができるかもしれない。
「パパは、いい歳して、部屋はこんな感じだった。でも、ママと出逢ってパパは変わったんだ。君のことは、世界で二番目に好きだ。君もやがてきっと巡り会う。君のママに出会った 僕のようにね。。。」
もはや、SMAPの『らいおんハート』の歌詞を思わせるようなセリフで、息子を言いくるめられるかもしれない。
でもでも
娘だったら、完全にアウトではないだろうか・・・
昨日、約一年ぶりにスマホ内の写真データをプリントアウト(現像)するサービスを利用した。
その現像写真たちは、ちゃんとファイルに収納しアルバムにした。
そのほとんどが、”楽しかった想い出集♪” のアルバムになっている。
その中で、たった二枚だけだが、毛色の変わった写真が紛れ込んでいる。
〇部屋の中からバルコニーを写したショット
→バルコニーには、大切に育てているシクラメンの植木鉢があり、さらにバルコニーより外には愛車が停まっているのが見える。日頃、缶ビール片手に、窓越しから外の様子を眺めることが好きな僕にとっては、お馴染みな光景。その日常的に眺めている光景を写真に写した。
〇満開の桜の木の下に停めてある社用車を写したショット
→職場で見慣れている光景だが、春先に、一本の桜の木が見事な満開となっており、感動して思わず撮影したもの。
どうやら、、、
僕という人間も、どこまで行っても、”想い出は美しくあれ” の人種だったようだ。