自分ご褒美
自分へのご褒美。
皆さんは、どんな時に ”自分へのご褒美” をあげるのだろうか?
今週は、久しぶりに遅番の僕。約三か月ぶり。
夕方ぐらいの勤務から始まり、深夜に終わる。日付をまたぐ。
日頃は日勤で、朝早くからの勤務に慣れているので、遅番はとにかく眠い。
「一分一秒でも早く寝たい」のだ。
そんな、眠い中頑張った自分へのご褒美として、日付をまたぐ遅番の日限定で、僕は高速道路を使って家に帰るのだ。
プチ贅沢。
ETCだと深夜割引もあり、そこまでの出費にもならない。
周りを走っているのは、トラック9割。
そんな中、乗用車でスイスイ走るのはなんとも気持ちが良いのだ。
これは、ほんの一例だ。
他にも、誕生日を祝ってくれる恋人がここ何十年といない僕は、当然!誕生日にも自分ご褒美(笑)
「年にたったの一度きりだから、思い切って、欲しかったあの商品を買おう」
となる。。。
なんだか、自分に甘すぎるのではないですか!?
ゴホン、えーっと、話を本題に戻します。
自分ご褒美の話。
実は、よく考えると、『人の深層心理』や『”自我” 像』といったことにとても密接に関わってくると思うのだ。
どういうことか。
「これだけ頑張った自分がいるのだから、これぐらいはハメを外してもいいだろう・・・」
自分ご褒美は、一言で言い換えると、こういうことなのだと思う。
ここで、筆者が注目したいのは、「これだけ頑張った」とか「これぐらいはハメを外そう」の基準が人によって違うのは、モラルとか道徳の問題よりも、『自分が考える ”自分” 像、自己イメージ』によって大きく左右される問題ではないか、と思うのだ。
深層心理とか自我という言葉を聞いて、思い出すのがフロイトやユング。
人の ”意識・無意識” という心理を、イド・エス(欲望)、自我(心の中心 / 全体統制)、超自我(規範意識)の三つに分けて説明しようとした。
人間の「~したい」という欲求・イドと、「~してはならない」という規範意識・超自我のバランスを保つ統制役なのが自我(エゴとも言われる)。
確かそんな説明。
一方で、自我って、『自我同一性』とか『アイデンティティの確立』とかにも使われる。
「自分って、こういう人間です」という意識が強く芽生えるのが思春期や青春期。
自分が考える自分と、周りから見られている自分の自己像が一致してくるとも言える。
まとめると。
『ルール・規範をどれぐらい守れる自分がいて、これぐらいハメを外しても問題ないと考える自分もいて、その ”総合的な自分のキャラ” を自分で受け入れられている状態』
これが自我の確立。筆者流の説明である。
では、この自我・アイデンティティは、一度確立されたらもう変わらないのか?
と言ったら、けっしてそんなことはないはずだ。
長い人生の中で、様々な出来事を経験したり、色々な方との出逢いを通し、常に自己像は変化し続けるものだろう。
時には、大きな挫折にぶち当たり、価値観が変わっていく中で、”自分のキャラ” の変容を試みる時だってあるかもしれない。。。
例えば、つい先日、巷を騒がせた吉本興業の話をとりあげると。
裏組織から『闇金の類』だと知っていてギャラを受け取ったのかどうか。
本当のところは、もちろん本人たちにしか分からない。まさに真相は闇。
もし、「悪いお金だろうな」となんとなく感じながらも受け取っていたなら、「これぐらいハメをはずしても大丈夫だ」だというイド・エスの自己像に基づいて金品を受領したことになる。
ところが、週刊誌にすっぱ抜かれて、世間をこれだけ騒がせることになった。
もともと吉本興業の企業体質にも問題はあっただろうし、金品を受領した当の本人たちは本人たちで、おそらくは「これからはもっと真面目に生きていこう」といった超自我の自己像を強めるきっかけになったはずである。
まさに、”自分のキャラの変容” をせざるを得ない状況なのである。
これは、”自分のキャラの変容” が可能な状況、自分次第でまだまだやり直しが出来る状況と言えるだろう。
しかし、残酷なことも有り得る。
時には、この自己像の変容を ”プラス方向に変えられない” ことだってある。
ここでもう一つの例。アスリートや芸能人の薬物問題の話をあげさせてもらう。
麻薬や大麻といった非合法の薬物の、何が一番残酷なのかと筆者は考えるのか。
幻覚症状など身体へのダメージもさることながら、「止めたくても止められない」という精神的苦痛、、、つまり
『止めたいという超自我の意思が、薬が欲しいというイドの欲求に負け続けていることの絶望感』
これは、『今まで確立されていた自己像の崩壊』を意味し、過去の栄光や誇りを全て失ってしまう状態と等しいだろう。
もちろん、アスリートや芸能人に限らず、人間なら自分なりの誇りやプライドを持って生きているのだから、誰にとっても当てはまる話なのである。
まさに、自己像の変容をプラスに変えるのが難しく、「イドの欲求に負け続ける自分」ということで深く傷つくのが、薬物の何よりも残酷な点だと思うのだ。
暗い話をしました。
非合法の薬物とまではいかないまでも、僕はお酒を飲むのが好きで、毎晩晩酌している。
本当なら、休日ぐらい「休肝日」というのを設けるべきだが、なかなか難しい。
これだって、「イドの欲求に負け続けている自分」である。
ただ、お酒は合法だし、「これぐらいハメをはずしても大丈夫だ」だというイド・エスの自己像を受け入れて、日常を送れているのだ。
もし、僕が結婚し。
子どもが生まれ。
父親になった。
(なんだか、前回の例えと展開が似てきましたが 笑)
そのとき、「自分もついに父親になった。今までの飲酒生活はしばらく止め、心を入れ替えよう!」となったら、これこそまさに ”自分のキャラの変容”。
長い人生の中で、様々な出来事を経験していく中で、アイデンティティを少し変える。
人は、長い一生を通し、自己像を少しずつ変えながら環境に適応していく。
色々な役割を身につける。
大変なこと、挫折することも時にはある。
そんな人生ドラマの中で、日頃お世話になっている方の励ましや支えがあって、何とか生きている。
そして、そうやって粛々と生きていく中で、また少し自分を変える。
そんな、当たり前のようでいて実は当たり前ではない、とっても大掛かりな一生涯かけての大事業をしながら、皆んな生きているのだ。。。
自分の変化を楽しみつつ
自分ご褒美もしっかり楽しむ
これが、人生を幸せに生きるために僕が出した結論です(笑)