文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

古巣 ”横浜” が教えてくれたこと

強風が雨戸を随分鳴らしていた昨晩。
朝起きて雨戸を開けると、雨風はそんなに強くなさそうだ。
やはり、台風は天気予報通り西の方へ舵を取り、関東地方への影響は少なそうだった。
 
「行ってみますか...」
 
本来は、車で行くはずだった。
本来は、デートで行くはずだった。
でも。
自分の足を使って。
自分たった一人で。
そのことが、今後の僕の人生にとって、何かとても ”重要な意義” がある気がしたから・・・
 
 
 
電車に乗ると、平日の昼でしかもお盆休み中ということもあり、相模原方面からの乗客はガラガラだった。
でも僕は、缶ビール片手に乗車したので、さすがに席に座ることをはばかられ、ドアの入り口付近に立った。
 
久しぶりの ”立ち飲み” は本当に心地よく、以前実家で暮らしていた頃なんかに、自分の部屋にこもり遠くの景色を見つめながらよく立ち飲みしていたなぁ。。。
小学校の臨時教員をしていた時分、なかなか学級経営が上手くいかないでいた頃の話で、思い悩み苦しんでいる気持ちをかき消すのにはアルコールの力だけではなく、不思議と ”立ち疲れ” の疲れが良いスパイスになったのだ。

そんな当時をふと思い出しながらも、
「ずいぶん、彼女、泣いてたな。」
 家を出発する間際の出来事が、自然と思い出された。
「そして、俺も、久々に泣いてたな。」
 
ちょっとした気持ちのすれ違いから、相手を傷つけることになってしまった。
 
 もうあと数年で四十を迎えようとしている僕だが、こういった男女間の ”感情のもつれ” といったものを経験したのは、実に初めてだった。。。
 
 
 
横浜で一度電車を乗り換える。
僕は、目的の場所へ行く前に、少し寄りたい場所があった。
 
お盆休み。
ご先祖の魂を迎え入れ、また帰っていってもらうという習わし。
この時期に、お墓参りをする人も珍しくない。
僕は、久しぶりに横浜に眠る親父の墓参りをしたかったのだ。
 
四年前。横浜に引っ越す前までは、いつも関内からバスで墓地へ向かった。
しかし、横浜の街に住み慣れ土地勘が出てくると、京浜急行の南太田から徒歩でも行けることが分かるようになった。
横浜は坂が多く、電車と徒歩という選択肢は明らかに非合理的だが、電車内での立ち飲み同様、今日の僕にとっては厳しい選択肢の方が心地よく感じられる気がした。
 
 真っ赤なワインレッドの京急車両は、特別に電車おたくではない僕でも、乗車前なんとなくウキウキ感が湧く。
久しぶりに京急へ乗り込んだ僕は、ようやく座席に座ることにした。さすがに、最寄り駅からずっと立ち通しは疲れた。
きしんでいた身体の痛みから解放された僕は、ふと、目の前の中吊り広告に目がいった。
 
『あなたの今までの人生に、「題名」をつけるとしたら何とつけますか。』
 
中学受験専門の日能研の広告だった。2019年横浜隼人中学校入試問題とある。
 
『(前略)
「忘れられない遠い昔の出来事、切ない思い出。誰にも内緒にしている大事な秘密。理屈で説明できない不思議な体験。等々、何でもいいんだが、お客さんたちが持ち込んでくる記憶に題名をつけること、それが私の仕事なんだ。」
「題名をつけるだけ?たったそれだけ?」
「物足りないかね。しかし言わせてもらえるなら、君が考えているほどたやすい仕事ではないんだよ。」
(中略)
「題名のついていない記憶は、忘れ去られやすい。反対に、適切な題名がついていれば、人々はいつまでもそれを取っておくことができる。仕舞っておく場所を、心の中に確保できるのさ。生涯もう二度と、思い出さないかもしれない記憶だとしても、そこにちゃんと引き出しがあって、ラベルが貼ってあるというだけで、皆安心するんだ。」
(後略)~小川洋子 ”海” より「ガイド」<新潮社>』
 
 
 
約一年ぶりの南太田だったが、特に何も変わっていないことに、少し安堵感を覚えた。
スピード時代の現代において、何でもかんでもスピーディに変わっていっては困るのだ。
 
駅を出て、”どんどん商店街” を抜け少し歩くと、とても細くそして長い階段が待っている。
神社の参拝の時のような、真っすぐ上まで続く階段ではなく、うねうねとした抜け道のような階段で、ヘアピンカーブが2か所ほどあるのだ。
周りが民家と樹木に覆われている階段で、なんだかジブリ作品の世界観を想い出させてくれる。だから、横浜在住時はいつもこの階段を利用するのが好きだった。
「自分の人生に題名ねぇ...」
約一年前にこの階段を登っているとき、一年後の自分がそんなことを考えながら同じ階段を登っているとは、もちろん想像もつかなかった。
 
 ほどなくして、親父の墓地についた。
 いつも、墓地入り口のお茶屋さんでお花とお線香を買っていく。
恰幅の良い、あごひげを生やしたお兄さんが一人で店番していた。
歳が自分と近く、子どもの頃に話したことがあった気がする。
向こうはそんなこと覚えていないだろうけど、僕はお墓参りの度に、お店の息子さんがいるかいないか気にしていた。
「墓地のお茶屋さんの息子として生まれてきたこの人なら、自分の人生にどんな題名をつけるんだろうなぁ。。。」
 
 台風の影響で、相変わらず空はどんよりとしていたが、比較的近くにそびえ立つ桜木町ランドマークタワーが、いつも通りの存在感を発揮していた。
無事、お墓参りを終えた僕は、いよいよ本日のもう一つの目的地へ足早に向かった。
 
 
 
一度横浜まで戻り、今度は京浜東北線で石川町へ。
お墓参り後に、よく石川町まで赴き、横浜中華街で昼食をする。
しかし、今日は別の目的地へ。もしかしたら、この駅で降りて、中華街以外の場所へ行くのは初めてかもしれないな。
 
目的地は、海沿いにある山下公園すぐ近く。
歩き始めると、意外と距離があることにすぐ気付く。
いつの間にかすっかり酔いは覚めてしまい、異様な湿度の高さも感じて、立ち飲み時の疲れをスパイスに...とか厳しい選択肢の方が心地よく...といった余裕はもう残っていなかった。
後半のことを考えず、前半に飛ばし過ぎたことを少し後悔している自分がとても情けなく感じられるのは、家を出発前に彼女との電話のやり取りの余韻が響いている証拠なんだと、僕は勝手に憶測した。
 
そして長い旅路の末に、ついに『横浜人形の家』に到着したのだった。
 
 
 
日本古来のお人形さんや、世界各国のお人形さんたちを、ただただぼんやりと眺めていた。
もし、彼女と来ていたら、今頃どんな面持ちで眺めていたのだろうか。
いつもはポーカーフェイスぎみの僕だが、嬉しさを隠せずニヤニヤしていただろうか。
 
階は二つにまたがっており、下の階から上の階へ続く階段の壁には、西暦の年号と一緒にその年に撮影されたであろうニュース写真が模様になっていた。
写真には、必ずどこかの国のお人形さんが写っており、確か戦前ぐらいの写真技術が普及された頃までさかのぼっていた。
「いつの時代も、どこの国でも、『お人形』が果たす役割って大きかったんだなぁ。」
そんなことを感じずにはいられなかった。
 
本当なら彼女が行きたがっていた場所を、自分たった一人で訪れる心境は、寂しさ以外の何物でもなかった。
お盆休みという割には、入館しているお客さんも閑散としており、それが余計に寂しさを増幅させた。
時間にして30分もいなかったかもしれない。
僕は、あまりの寂しさに耐えかねて、早々に立ち去ることにした。
 
 
山下公園から眺める海は、いつでも雄大だった。
遠くに見えるヨコハマベイブリッジは美しく、横浜在住後はすっかり馴染みとなったこの光景を、もはや愛していた。
赤レンガ倉庫から一本道で続いている広大な公園には、お盆休みだと気づかせてくれるたくさんの観光客がおり、ようやく僕は寂しさを忘れ落ち着きを取り戻した。
 
 
 
帰り道。
中華街に寄って、会社へお土産を買っていく予定だった。
入社してもうじき一年となるが、今まで一度も会社へ旅行のお土産など渡す機会がなかったので、ちょうど良い機会にもなると思っていた。
だが、昨晩の彼女との一件で、職場の先輩が一人絡む事態となり…僕自身の進退問題にまでつながる恐れが出てきたばかり。
癪なので、お土産購入は見送ろうかどうするか迷った。
 
迷いながら、ぽつりぽつりと歩いていると、スコールのような雨が急に降り出した。
ここにきて、台風の影響が来たのだ。
傘は持っていたけど、強風も吹き荒れており、まともに傘が差せない。
僕は急いで雨宿りできそうな軒を探すため、とにかく走った。
すると、マンションの地下ガレージを発見することができ、しばし雨宿りさせてもらうことにした。
 
ガレージから、降りしきる雨を眺め続けた。
夏の夕立ではないから雷音は無いはずだが、図らずも、この風景は今の自分の心境をまさに描写しているようで、遠くで雷が鳴っているかのようだった。
昨晩はろくに眠ることも出来なかった僕だが、地面を強くたたきつける雨粒の音で、ボ~っとしていた意識が急に回復した。
 
ふと、スマホが気になった。
見ると、例の先輩からLINEが入っていた。
昨晩とは違い、だいぶ穏やかな文面に変わっていた。
どうやら、今朝方の彼女との電話で、ちゃんとお互いの話を聞き誤解を解消できたこと、悪かったと思ったことをお互い素直に謝ることができたことが大きかったようだ。
彼女から、例の先輩にきちんと話をつけてくれたことは、穏やかな文面からすぐにも見て取れた。
「会社、辞めないで済むかもしれないな。」
そう思った僕は、すぐさまLINEを返信した。
「大変お騒がせしました。」
先輩と僕とで、stamp交換する展開まで持ち込め、どうやら事なきを得られそうだ。
 
くしくも、今日は『終戦記念日』。
わずか一日で先輩と終戦できたことは、あまりにも大きい。
戦没者の御霊をお祈りする日に、自分は戦争していますというのではあまりにも悲しい。。。
 
現金なもので、終戦できたと分かったからには、やはり会社へのお土産は買って帰ることにした。
そんなことを考えているうちに、気付けばだいぶ雨足は弱まっており、ガレージを後にした。
 
 
 
 中華街に着くと、訪れていた観光客たちはどうやらお土産屋さんの中に避難していたようだった。
しばしの間、お店の中から出てくる人の流れに逆らえず、僕は棒立ちした。
 
会社へのお土産とは別に、僕は終戦直後の先輩にも個人的なお土産を買っていくことにした。
もしかしたら、先輩にとっても、今回の一件は忘れられない出来事になるかもしれないから。
こういったことは気持ちの問題で、一品でももらえれば ”終戦記念品” となるかもしれない。
 
お土産を購入し店を出ると、空には青空も見え日差しが差し込んでいた。
「なんだか、本当に小説の主人公のような展開だな(笑)」
妙に、一人で可笑しくなった。
 
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帰りの電車に乗った時。
行きの電車での中吊り広告のことが急に思い出された。
 
『あなたの今までの人生に、「題名」をつけるとしたら・・・』
 
「冒険家〇〇(←自分の名称)、永遠なれ!」
 
でもなぁ。。。
「冒険チックな人生、いい加減疲れてきちゃったなぁ。」
またまた一人で可笑しくなった。
 
「冒険家〇〇、時には小説家なれ!」
これぐらいでちょうどいいんじゃないか!?(笑)
 
 
 
家路に着いたら、もう一杯やりますかぁ。