文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

万有引力

今のバス会社に入社して、早10カ月。

もうじき一年を迎えようとしている今年の夏だが、まさに ”奇遇” と呼ぶにふさわしい体験をすることになった。。。

 

横浜在住時に勤めていた勤務地に、トラックの横持ちドライバーとしてではなく、今度は従業員の送迎バスサービスの運転手として勤務することになったのだ。

ただし、一週間という期間限定で。

 

たまたま、つい先日、プライベートで横浜に遊びに行ったばかりでの矢先の出来事である。

「これはもう、何かしらの引力が働いているとしか考えられないな。」

 

でも。

僕は、つい先日の、プライベートで横浜に赴いた時とはだいぶ違い...

素直な気持ち&穏やかな気持ちで、昔の古巣を訪れることはできなかった。

 

 

 

 ”昔お世話になった方々に、挨拶をしに顔を見せに行くか?”

 

普通なら、「その節はお世話になりましたぁ~。」から始まり、会わなかった期間のお互いの事情の変化等、積もる話をしたいところだ。

 

ところが、事はそう単純にはいかない。

何より、『気持ちの面』で ”いざこざ” があり、やむなく退職を決意したという経緯が僕の転職人生の基本パターンなのである。

 

相手側は、そんなに深く考えていないかもしれないし、そもそも僕がどんなことを悩んでいたのかさえ気付いていないかもしれない。

退職時、”決定的な何か” があった時もあれば、なかった時もある。

横浜の古巣は、その決定的な何かに関与していないメンバーたちが残っていたので、再会しやすいと言えばしやすい。

でも、まったく無関係の方々というわけでもないので、再会はなんとも複雑な心境なのだった。

 

期間は一週間ある。

僕は、再会を果たすにしても、週の前半にあたる月火水は様子見して、後半の木金土に行動を起こすことにした。

もし、車両ですれ違いざま、向こうがこっちに気付いたなら、それはそれで潔く再会を早めようと心に決めた。

 

 

 

 さて、奇遇な出来事というのは重なるもので。

横浜在住時には一度会社を変え、別の運送会社に就職した僕だが、横浜から厚木に帰る際にこの運送会社のすぐ近くを経由して帰ることも可能なことが判明。

つまり、休憩時間を使って、ちょっくら顔を見せに行くことも可能なのだ。

もし今の会社にそのことがバレても、おそらく人情として理解を示してくれ、お咎めを受けることはないだろうから・・・

 

しかしここでも、僕は迷った。

 

この会社でも、感情的な ”いざこざ” がまったくなかったわけではない。

形は「円満退社」という形をとることにしたが、当の本人である僕にとっては、全てが納得いってたと言ったら嘘になるという本音がある。

 

「なんだが、ねちっこい奴だなぁ。明るくないなぁ。」

なんて、読んでて思うかもしれない。

でも。

やっぱり、「すべてをきれいサッパリ水に流して...」とはいかない。

「僕が若いからって、ずいぶん陰険なことをしてくれたもんだな。」

そんな思いを拭い去ることは簡単にはできないものなのだ。。。

 

 

 

万有引力

『すべての物体間に働く引力。その大きさは、物体の質量の積に比例し、、、』

電子辞書で調べると、そんな説明が出る。高校物理で習ったとおりの解釈で正しいらしい。

すなわち、すべての個体間で目には見えない引力というのが働いているけど、その大きさは地球のような惑星規模の大きさにならないと感じることができない。人間には。

だから、本当は人間同士でも万有引力というのは働いているけど、その大きさが小さいため、現実生活でそれは感じられないのだ。

 

なぜ、そんな不思議な現象が起こるのか?

それは、こんなに科学技術が発達した現代でも分かっていないのだ。

アイザック・ニュートンという人が、あくまで『経験則』として法則を見つけただけの話であって、木からリンゴが落ちるのを見てそこに法則がある!と発見したのと同じ話だったと思う。

 

学生時代というのは、人との出逢いに恵まれている。

そんな時分、僕は『人との出逢いは、偶然のようでいて必然かもしれない・・・お互いにとって相手から成長させてくれる要素があり、お互いがお互いを必要としているときに出逢えるもの』なんて、考えていた。

 

実際のところどうだかなんて、分からないのだけれど。

少なくとも、『出逢った人物から、何かを学んで自分にも生かそう』といった向上心・野心的な精神は重要だと、社会人になってからは言葉を変えた形で思っている。

 

久しぶりの元職場の方々との再会は、ここ数年間での自分の成長具合を感じられる絶好の機会になるとも考えられてくる。

僕のように、素直に久しぶりの再会を喜べない人間にとっては、こういった ”哲学的な思考” というのが時には必要になってくるだ。。。

 

 

 

週の前半。月火水。

どうやら気付かれていないようだった。

 

”透明人間” になったような感覚。

向こうからはこっちのことが見えていないけど、こっちは向こうのことが分かる感覚。

これは、長い一生の中でもなかなか経験できることではないだろう。

純粋に面白い。

事件で、「盗撮」とかで捕まってしまう犯人の心理は、もしかしたらこういった快感に近い感覚でハマってしまうのかもしれないなぁ...なんて、へんてこなことが思い浮かぶ。

 

 

そして、いよいよ週の後半。

木曜日。

無事、再会を果たすことができた。

 

主だってお世話になった方々、一人一人のもとを根気よく訪ねて行った。

意外とすぐに僕だと分かってくれたことは嬉しかった。

「覚えてますか?」という一言を添えてようやく分かってくれる人もいたけど。

 

相手をビックリさせたい、なんて子ども心もあったが、いざ再会すると僕は僕で楽しむことができた。何より、純粋に懐かしむことができた。

 

 

こうなってくると、当然のごとく金曜日も会いに行った。

今度は、僕のことが分かる方々がわざわざお出迎えをしてくれた。

固い握手を交わす。

 

”再会をしに挨拶に来てくれた”

という事実は、相手にとって、「色々あったけど嫌な出来事は水に流してくれたんだな。俺たちのことを決して嫌いではなかったんだな。」という隠れたメッセージを感じることにつながる。

お互いに、今でも運転業を営められている無事を素直に喜ぶことができた。

 

 

土曜日。

今度は、帰りがけに少し寄り道して、もう一つのお世話になった運送会社に顔を出すことを決意。

もはや、躊躇する気持ちはなく、意気揚々と僕は再会しに向かうことができた。

 

 

 

これら奇遇な体験を通し感じたのは、

『人を許す気持ちというのは、相手との仲を回復させるだけでなく、自分の気持ちまで浄化させる作用がある』

そんなことをしみじみと考えた一週間だった。