文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

純粋理性批判

今の会社に入社し、満一年が経過した。

 

この一年で、「自分の新たな欠点の発見」というのがあり、いささかショックを受けている。

というよりは、もともとあった欠点を、ようやく自覚できたという方が正しいのか??

 

 

バス会社って、トラックと違い、毎日同じことの繰り返し...という日々ではないというのが率直な感想である。

要は、”急きょの変更” とか ”即時対応” みたいなことが求められるのだ。

 

僕がようやく自覚した欠点とは、

”最初に受けた指示から、まったく違った指示に変更になっても、最初の指示のイメージが尾を引いて、その延長線上で物事を考えてしまう。”

というものなのである。

 

変更後に、相手の発言を聴いても、最初の相手の要望に沿ったイメージで発言を聴いてしまうため、即時対応に失敗するということなのである。

まぁ、平たく言えば、「頭の切り替えが悪い」ということなのだ。

 

 

 

昔、西洋に、カントという哲学者がいた。

純粋理性批判実践理性批判

純粋理性批判で『認識』の問題に取り組み、実践理性批判で『道徳』の問題に取り組んだらしい。

 

学生時代は、ふぅ~んそうなんだ、ぐらいで終わっていた(笑)

ふと、カント哲学を思い出したんです。

それで、調べてみると...

 

「私たちの認識の仕方には共通の構造があり、私たちはこれを自分の意識のうちから見て取ることができる 」

とある。

まさに、今の自分の状況に等しいのか?自分の欠点認識とつながるのか??

 

 

誤認知をしてしまうのには、僕なりに心当たりがある。

 

僕は、もともと生粋の理系であった。

理系は、どんな分野であっても、必ず『実験』をする。

仮説を立てて、実験・検証して、結論を出す。

 

この時、仮説を立てる段階で、「多分うまくいかないだろう」なんて弱気な気持ちで実験することはないのだ。

「これなら上手くいくはずだ!」という希望に胸を膨らませて、実験です(笑)

 

もし。実験して、思うように結果がいかなくても、すぐには諦めない。

「実験装置の不具合か?」

「環境条件が整っていたのか?」

「実験者がちゃんとやってないのでは?」

と、難癖をつけます(苦笑)

要は、望んだ結果が得られなかった時は、素直にその結果が受け入れられないため、なかなか自分が立てた仮説の失敗を認められないんです。。。

 

その、あきらめの悪い癖、染み付いてしまっていました(爆笑)

 

恋愛に置き換えて考えると、、、ストーカーです(^-^;

実際、僕は、「去る者は追わず来る者は拒まず」みたいな潔い恋愛してこなかったわ(泣)

ヤバいね。。。

 

 

だからこそ。

社内恋愛が終わった今。

婚活スナック

頑張ります!(笑)