アルジャーノンに花束を
アルジャーノンは、実験用の一匹のネズミの名前。確かそうだった。
『アルジャーノンに花束を』は、本で読んだ。
後に、ユースケ・サンタマリア主演で連ドラ化されたらしいけど。
やはり僕は、本を読むことで見聞を広めることの方が多いようだ。
本が分厚いことで知られるハリーポッターシリーズをすべて本で読んだぐらいだ(笑)
このストーリーは、どんな話なのか。
フィクション。仮想の話なんだけど。
今回、このブログで取り上げようと思ったのは、あながち、あの話はフィクションというわけではなく、、、現実世界の人の人生に重なる部分が大きいのかもなぁ...なんて気がしたから。。。
ある大学の研究室で、「脳細胞を活性化させる酵素の研究」というのを行った。
もし、実験が成功すれば、脳麻痺や知能障害の人の治療や社会復帰に役立つ、という極めて画期的な研究である。
知能指数(IQ)が、めざましく高くなるという効果がある研究。
それを、まずは実験用ラットで試したわけだ。
その研究の白羽の矢が当たったのが、「アルジャーノン」と後に名付けられた一匹のネズミ。
実験は成功する。
アルジャーノンは、凄まじい学習能力を発揮する。
一方。
その研究成果を受けて、いよいよ人体でも試してみよう!ということになる。
その対象となったのが、連ドラの主演で言うところのユースケ・サンタマリア。
知能障害で、IQが標準以下だった、元は。
ユースケ・サンタマリア(以下、物語の主人公を同名人物とする)は、アルジャーノンと同様、凄まじい学習能力を発揮する。
被験者であったユースケ・サンタマリアは、もはや一般人よりも遥かに高いIQを得て、大学教授になる。そして、ユースケ・サンタマリアもこの研究に没頭することになる。
連ドラは見ていないので、ドラマではどういう描かれ方をされていたのかは分からないけど。
本では、IQが高くなっていくにつれどういった変化が表れるのか、あくまで想像上の話なのだが、如実に表現されている感じが読んでいて印象に残るのだ。
例えば。
以前、ユースケ・サンタマリアが白痴で、自分の身の回りの世話役をしてくれていた養護教諭に対して恋愛感情を抱くようになる。
その、養護教諭に対する見方が変わっていく経緯が、事細かに描かれているのがとてもお見事なのだ。
『認知心理学』の世界なのだろうけど、、、人が外界の情報を認知する過程というのはとても奥深いものがあるのは、自分ぐらいの歳になると経験値的に実感を伴う。
"気付けるようになる"
一言で言ってしまえば、そういうことになる。
同じ風景や同じ人物を見て、何も感じなかったことに対し、何かしらの感想を持つようになる。
それが、気付くということなのだろう。
時として、それは自分の過去の想い出とリンクするから気付けるということだろうし。。。
ユースケ・サンタマリアのように、今までは認知面で入力される情報に制限がかかっていたため、気付けなかったという場合もある。
そう、誰しもが幼少年時代というのを経験しており、大人に比べれば圧倒的に入力情報が限られる時代。そんな時を、必ず誰しもが通って大人になるのだ。
皆、アルジャーノンとユースケ・サンタマリアのような体験をして生きていることにならないだろうか??
何が言いたいのか。
今の自分の "認知力" というものに感謝しなければならないだろうし、それはいつまでも続かないだろうって、そんな風にも思うのだ。
物語でも。
結末は、アルジャーノンは最後に混乱した様子を残して急死してしまう。
ユースケ・サンタマリアも、IQが退化し、元の自分に戻ってしまう。
それは、人間の "老い" と重ね合わせるような物語展開として描かれている。
"本当は気付いているんだけど、気付いていないフリをする"
ってこともある。大人になると・・・
一時期、話題になった『鈍感力』ってやつ。
鈍感な人間として振る舞うことで、人間関係を円滑にするのって、どんな社会でも絶対に必要なのだ。
そこで、いちいち、「こうですよね!ああですよね!!」なんて物申していたら、非常にやりづらいわけです。お互いね(笑)
日本人の忖度文化って、そんなに恥じることではないって、そんな気がするのは僕だけだろうか。
たとえ、勘違いであっても
それを恋と思いたい
恋の妄想に取りつかれたい
つまりは・・・
恋しちゃってる自分が、遺憾なく苦しいわ(爆笑)
一年後は、生きているかどうかさえ分からない自分だから。
でも、明日のことぐらいは、なんとなく予想がつくから。
過去を振り返らず、未来のことも考えず、"今" に集中したい自分なのです。