文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

兵(つわもの)どもが夢の跡

例年、秋って、こんなにスポーツ関連で盛り上がってましたっけ!?

 

 

僕が一番好きなスポーツの話題から。

のだま、野球。

あっ!やきゅうって読むんですね~(笑)

 

クライマックスシリーズが始まりました。

 

いまだに!賛否両論を聴くのって、それだけ日本で野球が愛されてるんだなぁって。

僕は、賛否両論の話をラジオなんかで聴くたびに、微笑ましい気持ちになるんです。

議論内容はここでは割愛しますけどね。

 

自分としては、クライマックスシリーズは、『下剋上』的な要素があり、盛り上がって楽しいのかなぁって思ってます。

現に、2位の横浜DNAベイスターズと3位の阪神タイガース

3位の阪神ベイスターズを制し、1位の巨人と対戦することになったわけです。

 

阪神は、もともと、4位の広島カープと3位4位を争い、激戦を制し3位に上り詰めクライマックスシリーズに。。。

勢いに乗ってます。

僕としては、2位のDNAベイスターズファンなので、かなりの危機感(^-^;

初日に阪神が逆転勝利、二日目に横浜が劇的逆転勝利。

そして、三日目。

一点差の接戦を制し、阪神が勝利し、DNAを下しましたね。

う~ん、悔しい( ノД`)シクシク…

 

でも!

昔のプロ野球のように、クライマックスシリーズがなかったら、とっくにペナントレースの結果なんて分かっちゃって。。。

本当に面白みがなく、盛り上がりにもかけちゃって。

あとは、セリーグパリーグ日本シリーズだけが楽しみ、みたいな感じだった。

 

 

 

さて、次に世界陸上

 

世界陸上と言えば!

織田裕二中井美穂

 

ずいぶん、長いことメインキャスターをお二人で務めているなぁ~って印象。

皆さんもありますよね!?

調べたら、12大会連続、22年連続ですって!!

もう、このお二人は夫婦ですね(笑)

 

実際は、織田裕二は比較的最近、一般女性と結婚しましたよね??

中井美穂は、ずいぶん前に、ヤクルトスワローズ古田敦也と結婚でしたよね??

 

世界陸上のキャスターを務めた当初は、まさかこんなに自分たちがペアで務めるなんて思ってもみなかっただろうなぁ・・・

いつぐらいから、「きっと二年後の世界陸上も、また自分たち二人でキャスターやるんだろうな」なんて、意識するようになったのだろうなぁ。

そういうの、気になる僕です(笑)

 

そういうのが気になってるだけで、正直、世界陸上の結果そのものはほとんど気にしていない僕です(笑)

 

 

そして!

なんといっても!!

やっぱりあの話題でしょーーー!!!

 

世界ラグビー

 

友達に、なんとぉ↑↑、二人もラグビー経験者がいるのだ♪

大学時代に、ガンガンやってた友人で、確か関東大会とか全国大会クラスで優勝した年を四年生のとき経験している強者なんです。

 

また!

高校時代の担任の先生が、これまたラグビーの専門でして。

部活の顧問をやってて、お正月に『全国大会の花園』ってやってると思うんですが、恩師が現役で顧問を務めているときも、確か花園大会に出場した気がする。

 

いままでの僕の人生で、近からず遠からずの距離感でラグビーという存在があるのだっ!

 

じゃあ、今の世界ラグビーに首ったけなのか!?

と言えば、そうでもないのだ・・・

 

 

 

日本の快進撃とか...

凄いと思う。

ニュースを見ていてわくわくするし、日本が勝てば、なんとなく嬉しい。

でも、結局のところ、現在の自分の人生に強く接点があるわけではないし。。。

そう、「なんとなく嬉しい」「日本凄いじゃん」って思うだけなんだよねー

 

 

それよりは!!!

 

つい先日、営業所対抗の会社による運転技術を競う『コンテスト』があって。

うちの営業所は、総合2位です!!

二部門あって、片方の部門では1位。もう片方で2位。優勝と準優勝。

総合1位の優勝でも全然おかしくなかったのだぁ。

でも、1点差とかで2位と聞いた。惜しかったね!

 

 

なんていうか、ニュースで流れる日本代表選とかよりは、はるかにこっちの方が盛り上がるわけで。結果も嬉しいよね♪

現在も、日々、そういった結果を残した人たちと一緒に仕事ができるわけだしね!

教わること多いしね!

 

なんていうか、これこそが現在進行形で生きてるってことなのかなんて、ふと思う。

 

 

スミマセン(^-^;

 いっぱしに、口を利いてみましたよ(*^^)v

ズル休み

子どもの頃、体調が悪いわけでもないのに、学校を休んだことがある。

 

確か、小学校一年生の時。

毎日のように、クラスの誰かが休んでいた。

休み時間、仲の良い友達と遊ぼうと思っても、いないから自分一人ぼっち。

面白くない。

 

小学校一年生なんて、まだ体力的に弱いから、病気で仕方なく休む子だって多いはずだ。

ところが、そんなことが分からない僕は、「なんで、自分一人なんだろう・・・」ぐらいにしか考えられなかった。

そこに、「いつも遊んでいないクラスメートとも遊んでみよう。」といった発想はなく...

「学校休んで、ずるいなぁ。」なんて、、、子どもはそんなものだろう。

 

 そんなある日、朝起きて、なんとなく調子が悪い。

でも、学校に行けないわけではなかった。それぐらいは、子どもだって分かるのだ。

「学校、休んでみたいな。」

そこで、ついに、念願の学校欠席を決行したのだ。

 

午前中は、気分が良かった。

「一日、家にいるのって楽チンだなぁ。」

なんて、のん気なものだ。

ところが、お昼頃になると、母親がお昼ご飯を何にするかで悩みだした。

いつものような食事だと、消化が悪いから、どうしようかと凄い悩んでいる。

「食欲はあるのか?」

「熱があるのか、体温計で測ってみよう!」

「普通の食事が無理なら、リンゴ剥いてやるから、食べてみろ」

「明日は学校に行けそうか」

「欠席届と連絡帳を誰に持って行ってもらおうか」

・・・

 

学校休むのって、こんなに大変なことなんですか??

 

この日以来、僕は二度と、"ズル休み" 的なことをしていないと思う。

 

 

社会人になっても、なんとか頑張って、ズル休み的な欠勤はしたことがない。

当たり前なことなんだけどね!

「会社休みたいなぁ、だるいなぁ。」

なんて思うことは、やっぱりあるものだ。

でも、それをしないのは、自分が休んだ時の周りへの迷惑や、罪悪感、家に居ても居心地が良くない等...諸々考えてズル休みはしない。

きっと、世界中のみんな、そんな感じで動いているのだ。

 

だいぶ、ざっくりですか!?(笑)

 

 

 

さて。

昨日今日と、本当に久しぶりの平日休みの2連休だった。

 

お盆とか、ゴールデンウィークとか、年末年始の振り替え休日でもないのに平日に連休なのは、久しぶりというか、もしかして人生史上初めて?

 

 

平日休み。

一口に言っても、いざ平日休みが始まると、どんな感じか...

 

まず、世間様は仕事モードなので、近隣の道路とかアパートの二階は騒がしい。

テレビをつければ、平日の番組。

もちろん、ラジオ番組も同様。

平日のゴミ出しも忘れてはならない。

なんだかんだ。。。

 

「俺、ズル休みしてるんだっけ?」

そんな感覚になり、全然気が休まらないのだ( ノД`)シクシク…

さて困った。

この、平日休みという持て余した時間とどう付き合えばよいのか。

 

 

まず、友人たちと会うことは不可能に近い。

以前の職場の方で、定年退職世代の方と飲んだり散歩するぐらいまでが許容範囲といったところだ。

もちろん、現役の職場の方と遊ぶのは、もっと不可能だ。土日休みが圧倒的に多い職場なので。

つまり、"誰かと一緒に過ごす" という発想はNGという結論。

 

何かないか・・・

 

平日は、どこに行っても空いている!

そう。

例えば、飲食店。

お昼時の時間帯を避ければ、超ガラ空き♪

ゆっくりと思う存分、後から来るお客のことを考えずに食べられる。

 

日帰り温泉

つい先日始めたばかりのトレーニング後、行ってみることに。

意外と、平日の昼間でもお客が多いことにビックリする。

9割が高齢者といったところか。

でもそうは言っても、やはり土日の混雑に比べたら比にならない。

サウナ室に、一人ぽつねんと居続けるのも、なんだか悪くない。

 

映画館。

これはもう、予想通りの空き具合。

三谷幸喜の『記憶にございません』なんか観ちゃいましたとさ☆

 

 

道も空いてることだし、ドライブとかも良いかもしれないな。

あえての、ドライブ。

一人ドライブ。

音楽を聴きながら。

デートするなら、どこに行くか。どの道がいいか。

妄想ドライブ...

 

虚しくなるから、ドライブはやめておこう(笑)

 

 

と、こんな感じで、平日休みも悪くはないけど。。。

 

問題は、土日出勤するとき。

うつ状態になること、必至!!(^-^;

善は急げ!

朝、顔を洗う時や、夜に食器を洗う時、「水よりもお湯の方が気持ちいいなぁ」って感じるこの頃。

先日も、『中秋の名月』だったし。

 

いよいよ秋本番を迎え、みなさんはどうお過ごしですか?

 

 

秋の定番と言えば、"食欲の秋" だったり "読書の秋" だったり・・・

暑さが落ち着き、気持ちも落ち着き、何かを始めるのにも最適な時期であるだろう。

 

『思い立ったが吉日』ではないが、一昨日から、トレーニングを始めた。

 

レーニングと言っても、イメージするような大々的なものではない。

 軽く、ウエイトトレーニング?筋トレ??の真似事

ジョギングの超ショートバージョン

観る人が見たら、聞いてあきれる程度のもんです(笑)

 

合計時間にして、わずかたったの、30分程度のもの。

 

しかし、おととい・昨日と2回実践しただけで、すでに改善された数値があるのだ...

 

 

 

始めようと思ったきっかけは、"血圧の数値" なのだ。

 

約二か月前から、上が140mmHgの、下が90mmHg。

『高血圧』の部類に入る数値なのだ。

会社の規定で、毎日、睡眠時間・体温・体重・歩数、そして血圧を計測している。

 

バス会社では、運転操作が基本動作となるため、洗車時以外は体を動かす機会がない。

よって、慢性的に運動不足となる。

出勤も、車通勤だし・・・

 

今の会社に入社して、もうじき早一年となるが、体重が7kg太った。

もともと "痩せすぎ" の部類だったので、7kg太ってもまだ痩せ型体型を維持してはいる。

ただ、人間の太り方って、身体全体に脂肪がつくのではなく、特に男性は『内臓脂肪』が付きやすく、お腹周りばかりが太るのだ。

風呂上がりに、鏡の前で仁王立ちしたときとか、「あれ!?俺って妊娠してたっけ?」と勘違い(笑)

格好悪いなぁ...

 

入社して一年でウエストが3cm増え、夏制服のサイズは、一回り大きめのズボンを伸長してもらった。それでも最近、それがキツく感じ始めていて、若干の危機感を覚えていた。

 

だが、自分自身で明らかに「太ったな!」という感覚があったのに、「ダイエットしよう」という意欲はまったく湧かなかった。

やはり、心のどこかで、「まだまだ自分は余裕ッス」と、高をくくってた。

 

それが、『高血圧』となってくると、予断を許さない事態。

一気に、僕の "運動しなければ熱" が発生した。。。

 

 

 

おととい・昨日と、たった2回のトレーニングで、血圧が130mmHg/85mmHg。

最高血圧が10mmHg下がり、最低血圧5mmHg下がった。

こんなに変わるのか!?と、半ば目を疑いたくなるような改善だが、体重の減量とは違い、血流への影響はものすごく大きいため、成果が分かりやすくて面白い。

レーニング意欲へとつながってくれそうだ。

 

今まで何もやっていなかった人間が、毎日継続して続けるには、せいぜい30分が限度だろうと思った。

柔軟体操が5分。

筋トレが10~15分。

ジョギングが10分。

たったのこれだけ(笑)

 

でも、これがけっこうキツいんです(^-^;

10分間、継続して走るって、言い換えると "600秒間" ひたすら走ってることになる。

「1、2、3・・・」って、1から600秒まで数えるのは大変だと思うけど、それだけ長い時間走ったら、「自分はもう、このままくたばるんじゃないか??」って錯覚するからネ(笑)

距離にして、わずか2~3kmだが、この2~3kmは途方もなく長く感じる。

 

 

そんなことを、この秋に始めてみた僕なんです。。。

 

 

 

走るコースは、家近くの川沿いを走っている。

 

たまたま、川沿いに小学校があったり、民家がたくさん建っていることもあり、老若男女の方々と一瞬すれ違ったり見かけたり。

 

ともすれば、スポーティーな自転車の方々が横をすり抜けていったり。

 

 

「人間社会って、色んな人がいて成り立ってるんだよな~」

とか、、、自然の摂理であるのに。

日頃接している "自分の世界" が全てになってる自分への戒めにもなったりで。。。

 

 

生きるって、奥深いです(^-^)v

天空の花嫁

「こんなとき、アイツだったらどうするんだろう・・・」

 

三十代になってから、そんなことをよく思うようになった。

自分の判断に迷いが生じたときや、自分の決断に自信が持てないとき等、そんな風に考える "心の習慣" があるのだ。

 

 

三十代になってから、自分がRPGゲーム(ロールプレイングゲーム)の主人公のような感覚になるときがある。

ドラゴンクエストファイナルファンタジーといった、冒険物語の主人公である。

つまり、自分という存在を客観的に見ていて、この姿・形をした人間を自分の意思で操作しているというか・・・

 

自分の意思決定で人生が決まるって、なんだか当たり前の話なんだけど。。。

二十代の頃までと違い、自分の人生でさえ、どこか客観的に見ている自分が存在するようになり、「人生なんて、なるようにしかならない」と開き直っている部分があるのだ。

 

自分が、どんなに「頑張ってこうしたい」と思っても、世の中ままならないことがあるんだなぁって。

 

 

こんな風に言ってしまうと、「三十代の若者が世の中を分かっちゃったような気になって」とツッコミを入れられそうだけどね(笑)

 

だから。

僕は、自分の思い通りにならない我が人生を、出来る限り悩んで悩んで悩みぬいて、後になって後悔が残らないように、そのとき自分に出来ることを全力で行動するようにしている。。。

 

 

 

ゲームの世界だって。

悩むことはある。

 

先述した、『ドラゴンクエスト』。

RPGではあまりにも有名で、実際にプレイしたことがない方でも名前ぐらいは聞いたことがあるはずだ。

 

Ⅰ~Ⅲは、"ロト・シリーズ" と言われ、伝説の勇者が誕生するまでのストーリーと、後世の勇者の血筋の王子が伝説の武器防具を探して活躍するストーリーである。

 

そして。

Ⅳ~Ⅵは、"天空・シリーズ" と言われ、ジブリの『天空の城ラピュタ』のようなお城をめぐってのストーリーとでも言えばよいか...

だいぶ、はしょった説明だが(笑)

その天空シリーズの中でも、名作と言われたゲームがあった。

 

それが、Ⅴの "天空の花嫁" というゲームである。

 

 

どんな点が名作だったかと言えば、戦っているモンスターが戦闘後に仲間になることがあったり、主人公が幼少期の時から冒険が始まり成人期を経て冒険を進めていく等...それまでのドラクエ史上では考えられなかったような斬新的な工夫がいくつか加わった点が挙げられる。

 

中でも!一番面白かった工夫点は・・・

"自分のお嫁さんを選ぶ場面"

というのがある。

 

二人のうち、どちらか一人を選ばなければならない。

現実世界だったら、なんとも羨ましいシチュエーションだ(笑)

一人は、大富豪の娘。主人公が街の悩み事を解決に導いたことで大富豪に気に入られ、娘の婿さんになって欲しいとお願いされる展開に。

ちょうど同時期に、もう一人のマドンナと出逢う主人公。

そのもう一人は、幼少期の頃の幼馴染。冒険を共にしていたが、事件が起こって離れ離れに。大人になって、まさかの再会。

 

さて、みなさんなら、どちらの子と結婚しますか?

 

たったこれだけの情報では、選択のしようがないだろうけど。

でも、なんとなく、"幼少期の頃の幼馴染" 。

この子と結婚すれば、ドラマチックだし、その後の冒険も楽しくなりそうな...

そんな予感めいたものを感じませんか??

 

 

あくまで、このドラクエというゲームの世界なんだけど、ゲーム制作者もそこらへんをしっかり考えてストーリーを作っていたと思う。

 

大富豪の娘さんと結婚すると、、、

その後の冒険前半では、冒険をかなり『楽に優位に』進めていけた。

父親からお金の支援や武器防具をプレゼントしてもらえたり...

さらに、嫁さんが強力な攻撃魔法を早い段階で覚えてくれたり...

ただし!

主人公の息子が伝説の勇者に育ったとき、自分の戦闘指示(作戦命令)をまったく聞いてもらえず、息子自身の判断で(コンピュータの自動モード)で戦闘してしまうのだっ!娘もいるけど、娘も一緒!!

子どもが二人して、"不良息子と不良娘" に育ってしまうのだ(笑)

 

 幼馴染と結婚すると、、、

その後の冒険前半では、なんにもメリットがない。

大富豪の娘さんとの結婚生活から考えたら、苦労の連続です(泣)

でも!

主人公の息子が伝説の勇者に育ったとき、自分の戦闘指示を聞いてくれるので、ボスキャラのような大掛かりな戦闘シーンでは、父親と息子と娘の三人で力を合わせて戦うことができるのだぁ!! "チーム力" で戦えることの素晴らしさに感動です(笑)

 

この辺のゲーム制作者の仕掛けは、本当にお見事なもんだと、子ども心にも思ったのを覚えてる。。。

 

 

 

何で、こんな話をしたのかって!?

 

婚活

最近、また始めた僕なんです。

でも、早くも悩みだした僕なんです。

 

横浜に住んでたときも婚活したことあって。

めでたくカップリングしたまでは良かったんだけど。

まったくお互いの性格とか、何にも知らない状態から知り合って親しくなっていくのって、大変だった。

 

結局、ちょっとしたことがきっかけで別れることに。

"絆" みたいな強さが足りなかったのかな。

 

 

婚活とか街コンとかを否定したいわけではない。

誰だって、恋愛結婚とかは憧れる部分はある。

でも、社内恋愛できない環境だったら、そんなこと言ったってしょうがないから、婚活とか街コンとかで頑張るしかない状況の時だってあるし。

 

 

でもね。

今の自分、実は、職場で気になっている子というのが存在する。

大変有難いことであるのは言うまでもない。

 

「付き合えるかどうかも分からないし、、、とりあえず婚活とか人の紹介は受けておこう」

「もし付き合うことができても、上手くいかなかったら気まずいし・・・」

 

そんなことを考えて、半ば保険的な感覚で始めた婚活だったんだけどね。

この考え方ってどうなんだろうって。

 

 

仮に。

婚活等で、素敵な子と巡り合い、順調に上手くいって、結婚まで漕ぎつけたとして。

 

でも、その時になって、すごく後悔することにはならないだろうか?

「気になっていたあの子を追い駆けていたら、どんな人生になっていたんだろう」って。。。

 

せっかく同じ職場で気になっている子がいるのだったら、自分が納得のいくまで追い駆けてみても良いのではないだろうか??

 

 

もし。

そのことによって、時間的な浪費とかエネルギー消費とかあって、それでも結果的に付き合うことができなかったり付き合ったのに上手くいかなかったとしても。

 

自分の実になること

あとに残るもの

ってのが存在する気がするのだ。

 

 

もっと言い換えると。

『結婚すること』が目的ではないはずだ。

そこを履き違えてはならないと思う。

 

「この子と、より長い時間一緒にいたいな♪」

そんな、純粋な想いの延長線上に結婚があるというわけであって。自論ですが。

 

だから仮に、その子のことを追い駆けて、結果的に結婚まで至らず、さらには僕自身は婚期を逃し生涯独身で過ごすことになっても。

それぐらいの覚悟と冒険心を持って社内恋愛すること自体に、本来の人生の意味があるのだと感じるのだ。。。

 

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「こんなとき、アイツだったらどうするんだろう・・・」

 

自分の将来の伴侶となるかもしれない "天空の花嫁" は、他の誰でもない、自分の意思で決められたらと思う。

風あざみ

前回に引き続き、"夏の終わり" に関して、ネタを引っ張らせてもらう。

 

 

"季節感" を感じる、ということで言えば、四季折々の自然の変化以外でも、音楽♪が挙げられるだろう。

 

自分なんかは、学生時代から『No Music No Life』(笑)

『音楽がなければ生きられない』

『音楽がない人生なんてありえない』

転職人生の僕だが、トラックドライバー、そしてバス運転手になり、音楽に精通できる時間が確保できるのが、何よりも一番有難いのだ☆

 

 

さて。つい先日、ラジオ番組で、井上陽水の『少年時代』が流れた。

 「夏が過ぎ 風あざみ~」

夏の終わりに流れる、まさに定番曲である。なんとなく聞いてる僕。

すると、ラジオDJが、「風あざみって、そんな日本語はないんですよね~。造語なのを皆さんはご存じですか?」と。

 

えっ!そうなの??(笑)

本当に!?

 

一度、気になり出すと止まりません。ボクちゃん。

電子辞書で調べてみると、確かに「風あざみ」では検索できない。

「風」と「あざみ」では検索できる。

ちなみに、「あざみ」は春から夏にかけての植物の名前らしい。

 

ではでは、今度はネットで調べてみると...

やはり、井上陽水の少年時代の歌詞、という類の項目ばかりの検索結果。

 

そんな中!一つだけ目を引いた検索結果あり ↓

 『井上陽水 少年時代に散りばめられた造語には本当に意味はないのか?』

https://utaten.com/specialArticle/index/1314

 

「風あざみ」「夏模様」「宵かがり」「夢花火」などの言葉は井上陽水が独自に作った造語である。

 

井上陽水がインタビューで「響きのよさで作った言葉で、意味ないんだよ。」と答えていることからも事実である。 

とある。

そうだったんだぁ。。。

 

 このホームページの中で、これら造語の解釈が載せてあり、言葉を噛み砕いて解説してくれている。

ここで、その一部を紹介してみることにしよう。

 

 

 

〇「風あざみ」

夏が過ぎ去った少年時代の虚無感。

子どもの頃の夏の想い出は、大人になっても楽しい想い出として記憶させる。

『青空に残された 私の心は夏模様』も、夏休みが終わったあとの、あの虚しい感情を表しており、青空という記憶装置に子どもの頃の楽しかった夏の想い出(=夏模様)を残している。

 

う~ん、分かったような分からないような・・・(笑)

 

僕の「風あざみ」という言葉からイメージするのは、

黄金色に変化した水田の稲穂が、青空の下、風でサラサラとなびいている風景そのものなんだけどなぁ。。。

 

でも、風あざみという言葉の解釈はさておき。

少年時代の夏の想い出の感情を、『夏模様』という言葉で表現しているとの解釈は、納得できるし分かりやすい。

 

他にも、

〇「夢花火」

夢のような八月の楽しかった想い出を、花火の儚さにかけている。

 

これは、なんとなく理解できる。

夢って、そもそもはかない一面があるし、それを実現するには相当の努力と労力を要するものだ。

夢って自分にとっては、煌びやかで憧れでもあり、、、

そんな「夢」のような楽しかった夏の時間・想い出は、あっという間に過ぎ去っていくもので、それを花火の美しさと儚さにかけている造語という解釈は、もはや "言葉の芸術" であると言えるだろう。

 

 

〇「夢はつまり 想い出のあとさき」

夢とは、想い出の延長線上にあるものと考えており、夢は想い出の一つ

 

これはもう、令和最初の夏に僕が経験した出来事を考えてみても、非常に共感せざるを得ない(笑)

 

 「あの子とデートしてみたかったなぁ」

なんていう願望も、僕のように女性慣れしていない人間にとっては、『夢』の一種と言える。

そんな願望・夢というのは、実現できなくても "想い出" として記憶され、けっして苦い想い出ではなく青春の1ページのような甘酸っぱい記憶として残ることだろう。

 

夢は、煌びやかで憧れでもあり、それだけ実現も難しく、結局は儚いものである。

だからこそ、現実に実行がなされなかったとしても、想い出の一つとしては記憶されるのだ。。。

 

 

 

さて。

こんな風に、井上陽水の造語の解釈をしていて気づくのは・・・

 

"日本人の想像力の果てしなさ・素晴らしさ"

 

そんなことを、皆さんも感じませんか??

 

最後に、この『日本人の想像力』について、僕からプレゼンさせてもらうことにする。

 

 

 一人称。自分自身を指す言葉。

英語では、アイ。アルファベットの「アイ I」という一文字。

多分、口語でも文語でも、これ以外に自分自身を指す言葉ってないですよね!?

「セルフ self」だと、「自分自身で何かをやる」みたいな、動詞的な要素が加わる気がするので。。。

 

純粋に、自分自身を指す言葉で考えたとき、日本語って凄いよね?

って話です。

 

私、僕、俺、あたし、わし...

 

上記それぞれの自分を指す言葉で、対象となる人物像がイメージできる。

「私」だったら、女性もしくは、オフィシャルな場面での男性。

「僕」だったら、男性もしくは、アイドルグループの若いお姉ちゃんが歌詞の中で自分を指すとき使ってる(笑)

「俺」だったら、男性で、自分が相手より社会的立場が上だったり歳上だったりするとき。

「あたし」だったら、女性で、自己主張が若干強めの若いお姉ちゃんが使ってる(笑)

「わし」だったら、日本昔話に出てくるような、長老的なイメージの人。

 

 どうですか?

僕の解釈は、あながち間違ってないよね??

 

まだまだある。

「我輩」だったら...夏目漱石の『我輩は猫である』の猫、もしくは聖飢魔Ⅱデーモン閣下(笑)

とかね。

 

上の話は口語だけど、文語ならではの一人称なんてのもある。

 

「小生」だったら、自分をへりくだって使う言葉でありながら、同等以下の相手に対して使う言葉。よって、大学教授が学生に対し使っていたのを記憶している。

「本職」だったら、警察官が供述調書をとるとき、自分を指すときに使っている。

 

 

うーん。

日本人って、なんという想像力の深さ!

そして、相手より上とか下とか...すげー気にする人種なのね(笑)

武士道とか公家とかの世界は、現代でもこういうところで、知らずと受け継がれているんですねぇ。。。

リボンの騎士

今日から9月。

まだまだ暑い日が続いてはいるものの、朝晩は涼しく半袖では肌寒ささえ感じるこの頃。

夏の終わりを感じ、いささか寂しさを感じるのは僕だけなのだろうか。

 

 季節の節目を迎えるにあたり、一つの季節が終わっていく、この「一抹の寂しさ」を感じるのって、春夏秋冬で夏だけではないか!?そんなことにふと気付く。

 

冬の終わりは、寒い寒い冬が終わり、ようやく温かい春を迎えらえれる。動植物の息吹を感じられるし、春を迎えられることに喜びを感じる。

春の終わりは、これから暑い暑い夏がやって来ることに、若干の憂鬱さを感じながらも、花火大会や盆踊りお祭り、BBQとか夏の甲子園などなど、イベント盛りだくさん!僕のように夏を満喫できない人間でも(笑)、なんとなく夏がやってくることにウキウキ感を覚えるのだ。

秋の終わりは、寒い寒い冬がやって来ることに身が引き締まる思いをする。そこに「一抹の寂しさ」を感じている余裕みたいなものがない気がする。すぐあとには、せわしい年末が迫ってきていることも手伝っているのだろう。

 

夏の終わりは、次の季節への心の準備みたいな気構えが必要ないし、夏の想い出に浸れる時間的&気持ち的な余裕もあるのだろうか。暑さが和らぎ空が遠くなって秋の空を感じながら、スズムシの鳴き声を聞き...人間の感性に寂しさを訴えかける要因も多いのだろう。

 

 

 

そんな夏の終わり。

毎年の記憶が残りやすいのも夏の終わり。

過去の夏の出来事が、自分史を刻む ”年輪” の役割も果たしてくれる。

 

今年は令和最初の夏だったわけですが、平成時代に、印象深く忘れられない夏の想い出

 がある。。。

 

そんな話でもしてみることにしよう。

 

 

 

福島に在住していた頃の話だ。

 

 

「風俗に一緒に行かないか?」

男なら、そんな誘いを受けたことがあるかもしれない。あって当然だ。

職場とか友人とかからね。

 

こんなとき、僕はいつも返事はNOである。

 

風俗デビュー。

いいかもしれない。

でもなんとなく、、、

「それって、いつでもできるよね。」

と考えてしまう。

 

だから、いつでも断固拒否!みたいな(笑)

 

ところが、人生でたった一度だけ、「この際、後学のためにも一度行ってみるか??」と、その気になったことがあったのだ。

それが福島在住の時だった。

 

 

当時、社宅みたいなところで、みんなで身を寄せ合って生きていた。

そう。「生活」とか「ルームシェア」みたいなオシャレ感一切ゼロの空間(笑)

毎日ひたすら耐えてます!みたいな状況だった。

だから、「生きていた」という言葉がぴったり一致するのだ。

 

そんな、追い詰められた環境の中みんなで生きていると、不思議と『連帯感』というものが湧いてくる。

もはや『家族』の一員みたいな、、、感覚麻痺ってやつ!? (^-^;

 

 

総勢50名ほどで、部屋ごとに7~8名ほどに分かれ、合計六部屋あった。

各部屋の年齢層は、20代前半~30代前半。

一番年下と一番年上だと、約10歳の歳の開きがあった。

 

僕は、所属する部屋の年長者であった。

一番年少の子とは、9歳離れていた。

 

それだけ歳が離れていると、なんというか、弟分みたいになってくる。

他の室員とは、また違った感情で接したくもなってくる。

特別可愛がりたくもなってくる・・・

 

 

そんな折。

この社宅には細々としたルールがあったりでけっこう面倒だったが、一番厳しかったルールはなんといっても ”社宅からの外出&外泊禁止令” である。

 よっぽど、やむを得ない事情がない限り、外の世界には出られないのだ。

 

みんな、それを承知の上、社宅に入ったのだが、いざ社宅での生きる格闘劇が始まると音を上げ始める。

半年間という期間限定ではあるけど、その半年は一年以上の長さにも感じてくる。

外の世界に憧れる。戻りたい戻りたいと・・・

今まで、自分が生きていた世界なのにね(笑)

 

そんな可哀想な子羊たちが、唯一、外の世界に戻れる日があった。

それが真夏のお盆休みの期間。

 

 

 こんな状況下から、解放される日が来たならば・・・

 

ハメを外したくはなりませんか?

人間の自然の感情として。

「今まで頑張ってきた自分にご褒美♪」とばかりに。

 

何か、記念や想い出に残ることでもしておこうかと。

そんな気持ちになるのが、人としての当たり前の感情だとは思いませんか?

 

 

 

さて。ここまで読んでくれた方なら、もう察しがつくだろう。

そうです。

まさに、「風俗デビュー」するなら、このタイミングなんです!(笑)

絶好の機会だと考えて、何も不思議はないんです。

風俗にお盆休みも年末年始もない。悲しいかな、人間の性欲は365日。

 

 で、実際に実行に移すことを決断した男がいた。

それが同じ室員で一番年下の、、、そう、弟分なのであった!

 

 

 「兄さん、一緒に行こう」

僕は、迷った。

迷うに迷った。

 

で結局、断った。

断ってしまった。。。

 

たぶん、僕の人生で、風俗デビューを果たさなかったことをこんなにも後悔することは、金輪際ないだろうなぁ。

 

 

 

弟分の彼が風俗デューを果たしている頃、僕はと言えば・・・

 

峠を攻めていた。

 

当時は、『ホンダのインテグラ』というマニュアルのスポーツカーを乗っていた。

久しぶりに福島から関東圏に帰って来た僕は、神奈川の想い出の地であるヤビツ峠を、無性に走りたくなった。

学生時代、卒業間際に、友達を連れて訪れたこともあったなぁ・・・

 

櫓の上から、小田原市秦野市の夜景を見る。

 

「あの一つ一つの光に、それぞれの人生があって・・・俺という人間はここにいて。。。俺は何をやっているのだろうか。

でも。それでも。あいつと俺とは違う。これが俺という人間なんだ!

強がりでも、なんでも、これがカッコいいと思ってる馬鹿で愚かな人間なんだ!」

 

 

ふと、『リボンの騎士』のことが思い出された。手塚治虫のアニメ。

神様の間違いで、女の子の体に男の子の魂が入って...という話。

ともすると、わたくしはこのリボンの騎士の逆バージョンなの??

 

なんだか、言葉まで女の子っぽくなってきちゃうわ♡

 

 

そんな、夏の日の忘れられない想い出。

万有引力

今のバス会社に入社して、早10カ月。

もうじき一年を迎えようとしている今年の夏だが、まさに ”奇遇” と呼ぶにふさわしい体験をすることになった。。。

 

横浜在住時に勤めていた勤務地に、トラックの横持ちドライバーとしてではなく、今度は従業員の送迎バスサービスの運転手として勤務することになったのだ。

ただし、一週間という期間限定で。

 

たまたま、つい先日、プライベートで横浜に遊びに行ったばかりでの矢先の出来事である。

「これはもう、何かしらの引力が働いているとしか考えられないな。」

 

でも。

僕は、つい先日の、プライベートで横浜に赴いた時とはだいぶ違い...

素直な気持ち&穏やかな気持ちで、昔の古巣を訪れることはできなかった。

 

 

 

 ”昔お世話になった方々に、挨拶をしに顔を見せに行くか?”

 

普通なら、「その節はお世話になりましたぁ~。」から始まり、会わなかった期間のお互いの事情の変化等、積もる話をしたいところだ。

 

ところが、事はそう単純にはいかない。

何より、『気持ちの面』で ”いざこざ” があり、やむなく退職を決意したという経緯が僕の転職人生の基本パターンなのである。

 

相手側は、そんなに深く考えていないかもしれないし、そもそも僕がどんなことを悩んでいたのかさえ気付いていないかもしれない。

退職時、”決定的な何か” があった時もあれば、なかった時もある。

横浜の古巣は、その決定的な何かに関与していないメンバーたちが残っていたので、再会しやすいと言えばしやすい。

でも、まったく無関係の方々というわけでもないので、再会はなんとも複雑な心境なのだった。

 

期間は一週間ある。

僕は、再会を果たすにしても、週の前半にあたる月火水は様子見して、後半の木金土に行動を起こすことにした。

もし、車両ですれ違いざま、向こうがこっちに気付いたなら、それはそれで潔く再会を早めようと心に決めた。

 

 

 

 さて、奇遇な出来事というのは重なるもので。

横浜在住時には一度会社を変え、別の運送会社に就職した僕だが、横浜から厚木に帰る際にこの運送会社のすぐ近くを経由して帰ることも可能なことが判明。

つまり、休憩時間を使って、ちょっくら顔を見せに行くことも可能なのだ。

もし今の会社にそのことがバレても、おそらく人情として理解を示してくれ、お咎めを受けることはないだろうから・・・

 

しかしここでも、僕は迷った。

 

この会社でも、感情的な ”いざこざ” がまったくなかったわけではない。

形は「円満退社」という形をとることにしたが、当の本人である僕にとっては、全てが納得いってたと言ったら嘘になるという本音がある。

 

「なんだが、ねちっこい奴だなぁ。明るくないなぁ。」

なんて、読んでて思うかもしれない。

でも。

やっぱり、「すべてをきれいサッパリ水に流して...」とはいかない。

「僕が若いからって、ずいぶん陰険なことをしてくれたもんだな。」

そんな思いを拭い去ることは簡単にはできないものなのだ。。。

 

 

 

万有引力

『すべての物体間に働く引力。その大きさは、物体の質量の積に比例し、、、』

電子辞書で調べると、そんな説明が出る。高校物理で習ったとおりの解釈で正しいらしい。

すなわち、すべての個体間で目には見えない引力というのが働いているけど、その大きさは地球のような惑星規模の大きさにならないと感じることができない。人間には。

だから、本当は人間同士でも万有引力というのは働いているけど、その大きさが小さいため、現実生活でそれは感じられないのだ。

 

なぜ、そんな不思議な現象が起こるのか?

それは、こんなに科学技術が発達した現代でも分かっていないのだ。

アイザック・ニュートンという人が、あくまで『経験則』として法則を見つけただけの話であって、木からリンゴが落ちるのを見てそこに法則がある!と発見したのと同じ話だったと思う。

 

学生時代というのは、人との出逢いに恵まれている。

そんな時分、僕は『人との出逢いは、偶然のようでいて必然かもしれない・・・お互いにとって相手から成長させてくれる要素があり、お互いがお互いを必要としているときに出逢えるもの』なんて、考えていた。

 

実際のところどうだかなんて、分からないのだけれど。

少なくとも、『出逢った人物から、何かを学んで自分にも生かそう』といった向上心・野心的な精神は重要だと、社会人になってからは言葉を変えた形で思っている。

 

久しぶりの元職場の方々との再会は、ここ数年間での自分の成長具合を感じられる絶好の機会になるとも考えられてくる。

僕のように、素直に久しぶりの再会を喜べない人間にとっては、こういった ”哲学的な思考” というのが時には必要になってくるだ。。。

 

 

 

週の前半。月火水。

どうやら気付かれていないようだった。

 

”透明人間” になったような感覚。

向こうからはこっちのことが見えていないけど、こっちは向こうのことが分かる感覚。

これは、長い一生の中でもなかなか経験できることではないだろう。

純粋に面白い。

事件で、「盗撮」とかで捕まってしまう犯人の心理は、もしかしたらこういった快感に近い感覚でハマってしまうのかもしれないなぁ...なんて、へんてこなことが思い浮かぶ。

 

 

そして、いよいよ週の後半。

木曜日。

無事、再会を果たすことができた。

 

主だってお世話になった方々、一人一人のもとを根気よく訪ねて行った。

意外とすぐに僕だと分かってくれたことは嬉しかった。

「覚えてますか?」という一言を添えてようやく分かってくれる人もいたけど。

 

相手をビックリさせたい、なんて子ども心もあったが、いざ再会すると僕は僕で楽しむことができた。何より、純粋に懐かしむことができた。

 

 

こうなってくると、当然のごとく金曜日も会いに行った。

今度は、僕のことが分かる方々がわざわざお出迎えをしてくれた。

固い握手を交わす。

 

”再会をしに挨拶に来てくれた”

という事実は、相手にとって、「色々あったけど嫌な出来事は水に流してくれたんだな。俺たちのことを決して嫌いではなかったんだな。」という隠れたメッセージを感じることにつながる。

お互いに、今でも運転業を営められている無事を素直に喜ぶことができた。

 

 

土曜日。

今度は、帰りがけに少し寄り道して、もう一つのお世話になった運送会社に顔を出すことを決意。

もはや、躊躇する気持ちはなく、意気揚々と僕は再会しに向かうことができた。

 

 

 

これら奇遇な体験を通し感じたのは、

『人を許す気持ちというのは、相手との仲を回復させるだけでなく、自分の気持ちまで浄化させる作用がある』

そんなことをしみじみと考えた一週間だった。