文豪たちは今日も生きている~何でもないはずの日常に潜むレトリック~

30代後半ともなると、日常で降りかかるあらゆる出来事に関心を示せない自分がそこにはいた。「こういう時にはこうやって対処すれば良かったよね。」いつの間にか、ステレオタイプ化された自分。。。そんな ”ありふれた日常” にも、本当は潜んでいるはずの非日常を探しに・・・

アルジャーノンに花束を

アルジャーノンは、実験用の一匹のネズミの名前。確かそうだった。

 

 

アルジャーノンに花束を』は、本で読んだ。

後に、ユースケ・サンタマリア主演で連ドラ化されたらしいけど。

やはり僕は、本を読むことで見聞を広めることの方が多いようだ。

本が分厚いことで知られるハリーポッターシリーズをすべて本で読んだぐらいだ(笑)

 

このストーリーは、どんな話なのか。

 

フィクション。仮想の話なんだけど。

今回、このブログで取り上げようと思ったのは、あながち、あの話はフィクションというわけではなく、、、現実世界の人の人生に重なる部分が大きいのかもなぁ...なんて気がしたから。。。

 

 

 

ある大学の研究室で、「脳細胞を活性化させる酵素の研究」というのを行った。

もし、実験が成功すれば、脳麻痺や知能障害の人の治療や社会復帰に役立つ、という極めて画期的な研究である。

知能指数(IQ)が、めざましく高くなるという効果がある研究。

それを、まずは実験用ラットで試したわけだ。

その研究の白羽の矢が当たったのが、「アルジャーノン」と後に名付けられた一匹のネズミ。

 

実験は成功する。

アルジャーノンは、凄まじい学習能力を発揮する。

 

一方。

その研究成果を受けて、いよいよ人体でも試してみよう!ということになる。

その対象となったのが、連ドラの主演で言うところのユースケ・サンタマリア

知能障害で、IQが標準以下だった、元は。

 

 

ユースケ・サンタマリア(以下、物語の主人公を同名人物とする)は、アルジャーノンと同様、凄まじい学習能力を発揮する。

被験者であったユースケ・サンタマリアは、もはや一般人よりも遥かに高いIQを得て、大学教授になる。そして、ユースケ・サンタマリアもこの研究に没頭することになる。

 

連ドラは見ていないので、ドラマではどういう描かれ方をされていたのかは分からないけど。

 本では、IQが高くなっていくにつれどういった変化が表れるのか、あくまで想像上の話なのだが、如実に表現されている感じが読んでいて印象に残るのだ。

 

例えば。

以前、ユースケ・サンタマリアが白痴で、自分の身の回りの世話役をしてくれていた養護教諭に対して恋愛感情を抱くようになる。

 その、養護教諭に対する見方が変わっていく経緯が、事細かに描かれているのがとてもお見事なのだ。

認知心理学』の世界なのだろうけど、、、人が外界の情報を認知する過程というのはとても奥深いものがあるのは、自分ぐらいの歳になると経験値的に実感を伴う。

 

"気付けるようになる"

 

一言で言ってしまえば、そういうことになる。

 

同じ風景や同じ人物を見て、何も感じなかったことに対し、何かしらの感想を持つようになる。

それが、気付くということなのだろう。

 

時として、それは自分の過去の想い出とリンクするから気付けるということだろうし。。。

ユースケ・サンタマリアのように、今までは認知面で入力される情報に制限がかかっていたため、気付けなかったという場合もある。

そう、誰しもが幼少年時代というのを経験しており、大人に比べれば圧倒的に入力情報が限られる時代。そんな時を、必ず誰しもが通って大人になるのだ。

 

 

皆、アルジャーノンとユースケ・サンタマリアのような体験をして生きていることにならないだろうか??

 

 

何が言いたいのか。

今の自分の "認知力" というものに感謝しなければならないだろうし、それはいつまでも続かないだろうって、そんな風にも思うのだ。

 

物語でも。

結末は、アルジャーノンは最後に混乱した様子を残して急死してしまう。

ユースケ・サンタマリアも、IQが退化し、元の自分に戻ってしまう。

それは、人間の "老い" と重ね合わせるような物語展開として描かれている。

 

 

 

"本当は気付いているんだけど、気付いていないフリをする"

 

ってこともある。大人になると・・・

一時期、話題になった『鈍感力』ってやつ。

鈍感な人間として振る舞うことで、人間関係を円滑にするのって、どんな社会でも絶対に必要なのだ。

そこで、いちいち、「こうですよね!ああですよね!!」なんて物申していたら、非常にやりづらいわけです。お互いね(笑)

 

日本人の忖度文化って、そんなに恥じることではないって、そんな気がするのは僕だけだろうか。

 

 

 

たとえ、勘違いであっても

それを恋と思いたい

恋の妄想に取りつかれたい

 

つまりは・・・

恋しちゃってる自分が、遺憾なく苦しいわ(爆笑)

 

 

一年後は、生きているかどうかさえ分からない自分だから。

でも、明日のことぐらいは、なんとなく予想がつくから。

 

過去を振り返らず、未来のことも考えず、"今" に集中したい自分なのです。

Good Bye! DJ

約10年ぶりに、バイクを購入した。

 

 

購入と言っても、職場の先輩から市場値の半額ぐらいで譲ってもらった形だ。

 

学生時代。

通学の手段としてバイクを持った。

家から大学まで、バスと電車で約2時間。でも、バイクだと約40分。

誰がどう考えたって、バイク通学でしょー(笑)

 

ただ、入学して半年間は、バイク通学の申請期間だったため、申請が許可されるまではバスと電車で頑張った。

そして、その半年の間に、大学キャンパス近くにある教習所で二輪免許を取得した。

 

 

バイク購入に関して、感動的な物語がある。

 

学生なんて、学業が本業で、アルバイトでの収入なんてたかが知れている。

そのため、バイクを購入するにあたって、親からの借金を頼るしかない。

 

母親バンク。

僕は、学生時代が長くて、約8年にもなる。

この8年の間に、教習所の費用やパソコン代など、大きな買い物をするたびに母親バンクを頼った。

ただ、バイク購入ともなると、中古でもそこそこの値が張る。

学生時代のアルバイトでは借金返済が不可能なため、社会人になってからも借金に追われる覚悟での購入だった。

 

 ただ、ここで一つの難点があった。

頼みの綱の母親バンクだったが、バイク購入にあっては貸してもらえない可能性大。

なぜなら、、、「バイクなんて危ない!お母さんは絶対に反対だからね!!」

この一点張り。

僕は途方に暮れた。。。

 

 

どうやって、説得を試みるか。

皆さんだったら、どうしますか??

 

例えば、飛び込み営業をしなさい、と言われてもなかなかできるものではない。

でも、相手は自分の母親。

付き合いは20数年になる。

どういうタイミングでお願いすれば聞き入れてもらえるか、要は『お袋の機嫌が良い時』を狙って説得を頑張る。

これに尽きる(笑)

 

で結果。

見事に説得に成功する。

 

説得に成功したばかりか・・・

「学生時代に借金ばかりではお前も大変だろう。」

「お前が前の大学でもらった奨学給付金。あれ、一円たりとも使っていないから。お前が頭脳で稼いだそのお金で、バイクを購入すれば良いよ!」

 

・・・・・

 

この感動的な話は、おそらく生涯忘れることはない。

「親って、こういうことなんだな。」

と、母親に感謝の念を抱いた出来事で、後にも先にもこの一回(笑)

一回だけ、というのは言い過ぎだけども、この母親の計らいは僕とお袋の付き合いの歴史史上忘れることが出来ないものなのである。

 

こうして得られたバイクだったということもあり、「通学のためだけではもったいない」という意識が自然と働き、ツーリングに行ったりもした。

僕の中では、バイク=青春のシンボルという、楽しい想い出&アイデンティティの確立という良き記憶としてのみ残っているのだ♪

 

 

社会人になり、移動手段を持つとなると、実家のときと違い、まずは自家用車を購入することになる。

車を持てば、車検やらなんやらで余裕がない。

バイクを持つとなれば二台持ち。

まぁ、俺は二度とバイクに乗ることはないだろう、って。

半ば諦めていましたね。。。

 

 

 

人との出逢い同様、車・バイクとの出逢いというのも御縁から付き合いが始まると、よく言われる。

 

そして、一つの御縁が始まると、離ればなれになってしまう御縁というもの必ず出てくる。

不思議なものだ。

 

 

一日に2回通勤をする僕。

午前番と午後番。

今までは、2回とも車通勤だが、これからは午後番はバイク通勤にしようと思っている

そうなると...

今まで聞いていたラジオ番組というのが聴けなくなる。

 

今の時代、Bluetoothを使って、ラジオを聴きながらバイク運転なんてことも可能。

でも、それだとバイクを操縦する楽しみが半減してしまうように思われれ。

ツーリングやバイク運転は、ドライブとは全然違い、もはやスポーツの一種だと思うのだ。

世の中の誰がスポーツをしている最中、音楽やラジオを聴きながらプレーするだろうか。

そんなの、ジョギングぐらいで十分だ。

 

 

ラジオ。

一口にいっても、関東圏ならFMで5チャンネルある。

79.5MHzのナック5、80.0MHzの東京FM、81.3MHzのJ-WAVE82.5MHzのNHK、そして84.7MHzのFMヨコハマ

 

ラジオの付き合いとは、もうかれこれ10年以上。

 以前、J-WAVEでDJをやっていた秀島史香さんは、今はFMヨコハマ等でDJしている。

彼女がJ-WAVEに御縁があったのは、慶應義塾大学出身が関係しているのかもしれないけど、じゃあ今FMヨコハマのDJやってるのは神奈川県茅ケ崎市出身だからだろう・・・そんなことも想像してしまえるぐらい、ラジオDJの人生にも自ずと興味が湧くものなのだ。

秀島さんなんか、J-WAVE時代、さんざん「秀島さんは結婚できない。」とイジられ続けていたけど、、、今では一娘を持つ母親でもある。

 

秀島さんの話は、あくまで一例だが、他のDJの人生にもアンテナを張っている。

ただ、午後番の通勤時にいつも聴いていたラジオ番組を聴かなくなると、必然的にその番組担当のDJへの関心も薄れていくものだと思う。

 

 

 

そういった意味で、人との出逢いって、やっぱり一期一会なんだなぁと実感する。

 

「この出逢いは、いつまで関係が続くか分からないけど・・・」

 

人・車・バイクなどなど

出逢いを大切にしないとなぁ。

純粋理性批判

今の会社に入社し、満一年が経過した。

 

この一年で、「自分の新たな欠点の発見」というのがあり、いささかショックを受けている。

というよりは、もともとあった欠点を、ようやく自覚できたという方が正しいのか??

 

 

バス会社って、トラックと違い、毎日同じことの繰り返し...という日々ではないというのが率直な感想である。

要は、”急きょの変更” とか ”即時対応” みたいなことが求められるのだ。

 

僕がようやく自覚した欠点とは、

”最初に受けた指示から、まったく違った指示に変更になっても、最初の指示のイメージが尾を引いて、その延長線上で物事を考えてしまう。”

というものなのである。

 

変更後に、相手の発言を聴いても、最初の相手の要望に沿ったイメージで発言を聴いてしまうため、即時対応に失敗するということなのである。

まぁ、平たく言えば、「頭の切り替えが悪い」ということなのだ。

 

 

 

昔、西洋に、カントという哲学者がいた。

純粋理性批判実践理性批判

純粋理性批判で『認識』の問題に取り組み、実践理性批判で『道徳』の問題に取り組んだらしい。

 

学生時代は、ふぅ~んそうなんだ、ぐらいで終わっていた(笑)

ふと、カント哲学を思い出したんです。

それで、調べてみると...

 

「私たちの認識の仕方には共通の構造があり、私たちはこれを自分の意識のうちから見て取ることができる 」

とある。

まさに、今の自分の状況に等しいのか?自分の欠点認識とつながるのか??

 

 

誤認知をしてしまうのには、僕なりに心当たりがある。

 

僕は、もともと生粋の理系であった。

理系は、どんな分野であっても、必ず『実験』をする。

仮説を立てて、実験・検証して、結論を出す。

 

この時、仮説を立てる段階で、「多分うまくいかないだろう」なんて弱気な気持ちで実験することはないのだ。

「これなら上手くいくはずだ!」という希望に胸を膨らませて、実験です(笑)

 

もし。実験して、思うように結果がいかなくても、すぐには諦めない。

「実験装置の不具合か?」

「環境条件が整っていたのか?」

「実験者がちゃんとやってないのでは?」

と、難癖をつけます(苦笑)

要は、望んだ結果が得られなかった時は、素直にその結果が受け入れられないため、なかなか自分が立てた仮説の失敗を認められないんです。。。

 

その、あきらめの悪い癖、染み付いてしまっていました(爆笑)

 

恋愛に置き換えて考えると、、、ストーカーです(^-^;

実際、僕は、「去る者は追わず来る者は拒まず」みたいな潔い恋愛してこなかったわ(泣)

ヤバいね。。。

 

 

だからこそ。

社内恋愛が終わった今。

婚活スナック

頑張ります!(笑)

喪黒福造に心は売らない

ようやく、落ち着いた日常が戻ってきた。

 

本日、日曜。ほぼ予定なし!(笑)

 

そうなると。

なんとなく、心にぽっかりと穴が開いたような。。。

虚しい気持ちに襲われる。

 

 

よく言われることに、人生は、仕事か家庭か趣味かのどれかに熱中できてると幸せであると。

でも、自分の場合、とくにどれかに熱中できていると胸を張って言えるような人生は送れていない。

 

ただ、なんとなく、日々が過ぎ去っていく...

 

もしかしたら、これから、どれかの山が待っているのかもしれないが、正直、40歳近くにもなってくると、「もうどうにでもなってしまえ!」といった諦めの気持ちの方が勝ってしまうのだ。

 

 何かを自分で変えようという意欲、やる気はもう起こらないのだ。

自分一人では・・・

 

 

 

町田に引っ越してきて、早一年を過ぎた。

その当時の自分と比較した時、意外にもちょっとした変化が見受けられるのだ。

 

①このブログを始めていること

②同級生と会う機会があること

③職場の町田市在住の方と親しくなれたこと

④お袋と会う機会が増えたこと

 

だからなに??と言われてしまえばそれまでですがね(笑)

 

ただ、一つ言えるのは、休日に自分以外の人間のことを考える時間が増えたということになる。

このブログ一つとっても、書くときはある人物のことを考えて執筆している。

もちろん、その人物一人のために書いているわけではないけど、意識する度合いは大きいのだ。

 

 

同級生とは、3度目の正直で、一緒に婚活することになった。

 

 

職場の方に、家が近い方がおり、先日スナックに連れて行ってもらった。

そのスナック、自宅から近いこともあり、気に入ったお姉さんがいることもあり、しばらくはスナック通いになるかも。。。

 

 

横浜在住時、町田の実家に帰る頻度はせいぜい月一でしたが、同じ市内に移り住んでからは、毎週一回は実家に顔を出せている。

まぁ、お互いにとってメリットがあり、適度な距離感を保つことができた。

 

 

 

「あなたの心のすきまをお埋めします。」

笑うセールスマンに心の虚しさを埋めてもらうより、自分なりの対処法で頑張った方が人生豊かになりそうな予感??

百年の孤独

怒涛の一週間だった。

 

 

仕事では、初めての遠征でした。

宮城県茨城県~栃木県の一泊二日の送迎でした。

入社してちょうどぴったり一年。

一年前には想像もできなかったね。

 

 

土曜日は、会社のバーベキュー。

一応、幹事的な役割でした。

でも、僕一人ではとてもとても・・・

僕入れて4名。

 

「BBQやりたいやりたい」

と騒ぎだした僕ちん。

それに先輩方を付き合わせしまいましたネ(^-^;

 

冗談めかして、嫌な顔を見せてましたが。。。

何だかんだ、爽やかな方たちなのかな!?(笑)

 

 

 

恥をかくことを恐れる自分

始める前に構えてしまう自分

心配し過ぎて実行をためらう自分・・・

 

現場仕事は、少なからずしてきた自分。

教育現場、建設現場、事件現場。。。

 

現場って、必ず、『想定外』なことが起こるし、恥をかく。

 

後から振り返ったとき、

「あのとき、こうしていれば。ああしていれば。」

と、後悔の連続です。

 

本当に、信じられないぐらい、機転が利かない自分に泣けてくるわけです。。。

 

 

でもね。

それらすべて、人生経験として身になっている、と思うしかないわけです。

一度歩みをやめてしまったら、再び歩き始めるのはとてもしんどい。

ラソンと一緒だと思う。

 

 

現場仕事。

深いですね!

”唐人”お吉

歴史には、表と裏の顔がある・・・

 

大人になるにつれ、「世界はどうやって回っているのか」なんてことを、真剣に考え出すようになるものだと思う。

そう、歴史にも、教科書に載せられる話もあれば載せられない話もある。

斎藤きち、”唐人”お吉は、まさにそんな生涯だったと言えるのかもしれない。。。

 

 

 

つい先日、会社の仲間で、伊豆半島の旅行へ行った。

 

僕なんか、なんの段取りもしてなければ、なんの下調べもしていない(^-^;

ただ、唯一、唐人お吉さんの生涯について、事前に知ることになった旅だった。

『宿題』なんて響きは懐かしいが、一緒に旅行に参加する先輩、いつも僕が「教授」とネーミングしている方から、それとなく促されたのが唐人お吉さんの生涯のことだった。

 

 

時は、幕末。

明治維新前のお話である。

 

日米修好通商条約という、俗にいう「不平等条約」に関わった要人としてハリスが挙げられるだろう。

アメリカ人であるハリス。

 

 

・・・

 

 

さて。

ここで突然ですが。

 

本当は、ここから先、唐人お吉さんの生涯について話す予定でした。

ところが、どうもパソコンというのは時に不具合が起きるものだ。

せっかく文章を打っていたのに、、、

ここから先、一瞬の操作ミスですべて内容が消えてしまいました( ノД`)シクシク…

 

気になる方は、ぜひ「唐人お吉」で検索してみてほしい。

 

 

人の世の残酷さを間に辺りにしますから。

 

一人の芸者さんの生涯。

激動の時代を生きた人。

まさに、時代に翻弄されながらも必死にもがいて生き抜こうとした人の生涯を知ることになりますよ。

 

 

偏見といじめに苦しみながらも、最後まで希望を持って生きようとした人だと、僕には映った。

"ギリギリ運" に恵まれた男

占い。

突然ですが、皆さんはどれぐらい信じていますか?

 

 

僕は占いというものを、個人的には "そこそこ" 信じている方なのだ。

信じている身から言わせてもらえれば、占いは『統計学』なので。

ただやみくもに、根拠もなく、運気が良いだの悪いだの言ってるわけではなさそうなのである。

はるか太古の、紀元前とかから、主に東洋で栄えた学問だと聞いたことがある・・・それが本当なら、 "人類の財産" とも言い換えることができるかもしれない。

 

 

さて。

占いで、恋愛運や金運、仕事運などなど、メジャーな運気というものがある。

こういった、誰しもが気にする運気というのは、もちろん僕だって気にはなる。

でもこれらは、占いのアプリやテレビのおまけ占いのような「浅い運気の話」に思えてしまうのだ...

 

もっと、占い本とか占い師が占うような「本格占い」の方が、僕は気になっている。

お酒の話に置き換えて恐縮だが、甲類乙類の大量に入っている焼酎なんかを飲むよりは、「本格焼酎」と呼ばれる芋とか麦とかのちゃんとしたお酒を飲んで酔っ払った方が、気持ちが良い♪というのと似ているのだぁ!

この気持ち、分かってもらえます??(笑)

 

とにかく!

僕が言いたかったのは、人の運気というものは奥が深く、恋愛仕事金・・・諸々以外の、一見すれば他人からは理解されないような運気というものの存在を感じることがあるのだ。。。

 

 

 

『ギリギリ運』

と、僕は称している。

 

ギリギリ間に合う。

そんなイメージです。

 

日常生活の小さなことから、人生という大局的な見地に立ったときも。

 

そんな運気に恵まれているかも。。。

 

 

もちろん、全てのことで間に合ったぁ~とはならない。

そこまでいったら、神ですよ。

でも、間に合わなかったら間に合わなかったで、『次に生かすための努力は惜しまない』とは言えるかもしれない。負けず嫌いなので(笑)

 

たぶん、このギリギリ運というのは、本人が意識しなかったら分からない運気なのかもしれない。

ただ僕は、その場っ限りで「ラッキー☆間に合ったぁ~」では終わらせない性格なんです。

「なんでギリギリになっちゃったんだろう」って、あとになっても悩んでいる(笑)

 

 

具体的な話を避けてきましたが、ここで一つだけ、聞いてもらいたい話がある。

 

 

「記録的な大型台風」

今まさに、関東・東海地方に接近している最中。

 

最近の台風は、どうやら温暖化の影響もあってか、大型の台風ばかり。

そのため、「記録的な大型」という言葉にも、「なんだ、またなの?」という反応になってしまっている自分がいる。

 

でも!

今まさに接近中の台風19号。

今回ばかりは、本当に「記録的」という言葉が相応しいぐらいの、大型な印象を受ける。ニュースを見ていて。

「人生に一度、経験するかしないかの台風」って文言は、凄まじい破壊力があるよね(^-^;

 

だから、万一のため、停電とか断水とかが起きた時のための備えをした人は多いはずだ。

食料の確保、スマホ充電とか・・・

 

 

僕は、会社には車通勤なので、ガソリンの給油。

これも必須事項だ。

停電時には、スマホ充電器にもなるし、エアコン暖房付きだから暑さ寒さもしのげる。

 

一昨日の木曜日。

給油メーターを見ると、半分以上あった。まだ余裕。

だから、台風が上陸すると言われている土曜日の前日である金曜日に、給油メーターが半分近くまでに下がるようなら入れようかな、あと入れるタイミングは仕事終わりの金曜夜遅くならすいているだろうし、、、ぐらいに安易に考えてしまった僕だったのだ。

 

これがマズかった。

 

金曜の日中、仕事の最中で目にしたのは、ガソリンスタンドに列をなす車車車。

「みんな考えることは同じだなぁ。まぁ、俺が遅番の仕事終わりに立ち寄る際には、すいてるだろうし。」なんて、のん気に構えていた。

 

 

いざ仕事が終わって、帰宅途中。

いつもの通勤道にあるガソスタは、まだ混みあっていた。

ここで、「あれ!?変だな」と気付きたかった。

夜遅くなのに、何故にまだ混んでいるのか...

 

家近くまで帰ってきて、すぐに分かることになる僕。

 

いつも給油するガソスタの、すぐ手前のガソスタも列をなして混んでいた。

ただ、この手前にあるガソスタは、安値のためいつもいつも混んでいるのだ。

そのため僕は、「混んでるガソスタがまだ営業してるんだし、、、すぐそばのいつものガソスタも営業中だろう。」と思った。

 

500メートルも離れていないいつものガソスタ近くまできて、異変に気付いた。

『レギュラー〇〇円/ℓ』の電光掲示板が点灯していない。つまり営業していない。

ガソスタ内を見ると、『売切』の看板が...

 

そうなのだ!

会社近くの通勤道のガソスタが夜遅くでも混んでいたのは、まだ売切れになっていないガソスタを求めて、ようやく漕ぎつけた車たちが列をなしていたのだった!!

 

そうと分かれば、今さっき通過してきた、いつも混んでる安値のガソスタで入れるしかない。

多少待っても、こういう非常事態では仕方がない。

腹をくくって待つしかない。

 

そう思い、すぐさま引き返すことに。

 

さて、このガソスタは、安値にも関わらず、セルフではなく今どき珍しい店員さんが給油してくれるガソスタ。

車を引き返し、ガソスタに右折進入しようとしたところ、たった今さっきまで車が列をなし営業していたのに、スタッフさんたちが入り口にロープを張り始めてるではありませんか!

僕は諦めず、様子をうかがいながら、入り口に接近しスタッフさんに声をかけた。

店員「すみません。たった今、機械の調子が悪くなってしまい。メンテナンスを始めますので。復旧に1時間ほどかかると思います。」

 

1時間は待てない。

そこで、このガソスタを諦め、家の市内の方にあるガソスタで給油することにした。

3か所廻って、3か所とも『売切』だった。。。

 

 

あの時、会社近くのガソスタで入れていれば。。。

そもそも!

前々日の、木曜夜に入れていれば良かったのだ!

会社で、"NO.2" と呼ばれている先輩は、自分が遅番であるため、金曜の日中に入れるのは不可能と見越し、木曜夜に入れたと言ってた。

やっぱり "NO.2" と呼ばれる男は違う。

それに比べて、俺は、、、甘いにもほどがある!しょせん、小物だよ俺は。

全然、見通しがなってなかった。というか、見通そうともしなかった。

お気楽人生。

アリとキリギリスで言えばキリギリス。

その場が良ければそれで良い。

た~だ、生きてる。

た~だ、呼吸をし、食べて寝る。

そんな繰り返しの人生。。。

もう、そろそろやめませんか。こんな人生。

いや、人生そのものをこの際やめませんか。台風が来る前に...

 

結果、そこまで落ち込みながらも、人生そのものはやめずにすんだ。

 

 

翌朝。

そこまで落ち込んだことはすっかり忘れ、停電や断水に備え準備した。

遅番明けだったので、起床時間も遅く、全ての準備を終えた頃には正午を回っていた。

 

ここで、昨晩の "給油事件" のことが気になった。

給油メーターによれば、まだガソリンは半分入っている。

緊急事態ではないが、満タンにできるならそれに越したことはない。

台風が本州に上陸予定時間は15時以降だから、まだ少し時間がある。

外を見ると、すでに雨は大雨だが、なるほど確かに風はまだ強くなさそうだ。

『暴風域』ではないのだ。冷静に判断できた。

 

ここで、僕はふと、店員さんの言葉が思い出された。

「機械の調子が・・・メンテナンスしたら・・・復旧・・・」

さすがに、もう復旧してるはず。

問題は売切れかどうか。

 

さて。こんな時に思い出されるのが、"ギリギリ運の強さ" なんです。

確かに、昨晩はギリギリ運を発揮できなかった。

でも、僕の言う "ギリギリ" にはまだほど遠い段階なのだ。

今日これから、もう一度給油しに行き、それでも給油できなかった時初めて、「俺のギリギリ運を発揮できなかったな。俺ももう落ち目だな。」となるだろう。

 

物は試し。

一か八か。

努力とかではない、完全に "運" だけを頼りに、行ってみますか。

 

 

でも僕は、最初からお目当てのガソスタに行かなかった。

家からはやや離れているため、できることなら家近くの市内のガソスタから回ることに。

3か所中2か所廻って営業していなかったので、残りの一か所には行かなかった。

潔く、いよいよお目当てのガソスタに車を走らせた。

 

ガソスタに限らず、飲食店やスーパーも休業していた。

コンビニだけは、どのコンビニも営業しているのに感動。

車はすでに、ほとんど走っていなかった。

 

僕は、オーディオでラジオや音楽は一切聞かず、フロントガラスにたたきつける雨粒が奏でる音を楽しんだ。

 

そして、、、

お目当てのガソスタに到着した。

近づいて、電光掲示板に『レギュラー〇〇円/ℓ』の文字が見えたぁ!

まだ営業中。

やはり、昨晩のあの店員さんは、誠意ある返答をしてくれていたのだった。

 

無事給油が終わり、給油してくれたスタッフさんに対して、僕は思わず

「いやぁ、まさか、まだ給油できると思わなかったです。本当に助かりました。」と声をかけると、

スタッフ「実は、もうじき売切れになりそうで、閉店です。運転手さん、運が良いですね!」

 

 

 

こうして、僕は、遺憾なくギリギリ運というものを発揮させてもらったようで。

 

ブログの更新にいそしんでいる今に至る、というわけです(笑)